microcosmos  4

日々の思索

2007-01-01から1年間の記事一覧

本村俊弘の旭町日記(36)

平成15年5月14日(水)―2003年 帰宅後、横になっていたらいつのまにか寝てしまった。深夜に目覚めて詩作をする。「New YORK Times」のWEBサイトでニューヨークにあるホイットニ‐美術館の館長マックスウェル・アンダーソン氏辞任の記事を読む。

本村俊弘の旭町日記(35)

平成15年5月13日(火)―2003年 今朝の記事で目に付いたのは、ハーバード大学ケネディ行政大学院学長のジョセフ・ナイ氏のインタビュー記事であった。ナイ学長はソフトパワー(文化・価値観などの魅力で他国を引きつける力)の重要性を述べていた。…

本村俊弘の旭町日記(34)

平成15年5月12日(月)―2003年 毎日新聞の2日前の記事と今朝の記事に目が留まった。2日前の記事は『世界の目』というコラムでリチャード・コーエン氏(米ワシントン・ポストのコラムニスト)がメディア王、マードック氏のイラク戦争に対する姿勢…

本村俊弘の旭町日記(33)

平成15年5月11日(日)―2003年 History Channelの番組『バイキングの時代』(午前8時〜午前9時)をみる。今のノルウェー、スウェーデン、デンマークから船でヨーロッパ各地に侵略していく様子が、地図とバイキングの研究者3人の話で理解された。…

本村俊弘の旭町日記(32)

平成15年5月10日(土)―2003年 ニューヨーク在住の日影さんより電子メールが届き、ソーホー地区にあるイセ画廊で美術評論家で詩人の建畠哲氏の詩の朗読会があり、その会場で知人のYUKOさんと、ご主人で詩人のスティーブ・ダラチンスキー氏と会って…

本村俊弘の旭町日記(31)

平成15年5月9日(金)―2003年 今日生まれて初めて、苧環(オダマキ)という紫色の花を咲かせている植物を見た。北海道や高い山に自生しているらしい。 3月5日に職場で薔薇の切花を十本もらったが、数本の薔薇がいまだ枯れず、そのうちの1本が3日…

本村俊弘の旭町日記(30)

平成15年5月7日(水)―2003年 今朝は昨日より体調が良くなっている。今日もベストを尽くして仕事に取り組むつもりだ。

本村俊弘の旭町日記(29)

平成15年5月6日(火)―2003年 連休前から喉に痛みを覚えていたが、風邪だったのかもしれない。連休中は体調が悪く、日曜日以外は家で過ごした。今日は無理をして仕事に出た。立ち眩みすることが何回かあったが、何とか早引きしないで乗り切った。午…

本村俊弘の旭町日記(28)

平成15年5月3日(土)―2003年 仕事を終えて池袋にでる。西武百貨店のLIBROで三木成夫(みきしげお)著『内臓のはたらきと子どものこころ』(築地書館¥1400)、C・S・ノット著古川順弘訳『回想のグルジェフ』(コスモス・ライブラリー刊¥240…

本村俊弘の旭町日記(27)

平成15年5月2日(金)―2003年 仕事場(東京都練馬区)の4階の窓から今年初めてツバメが飛翔しているのを見た。1年ぶりで静かに感動を覚える。

本村俊弘の旭町日記(26)

平成15年5月1日(木)―2003年 仕事を終えてから、恵比寿まで出向き写真展と映画を見た。写真展は東京都写真美術館で開かれている『荒木経惟 花人生展』である。観覧料一般千円。初期のシリーズ作品「彼岸花」・「近景」・「色景」から色彩鮮やかな「…

本村俊弘の旭町日記(25)

平成15年4月30日(水)―2003年 シネフィル・イマジカの番組でポーランド人のアンジェイ・ワイダ監督作品『聖週間』を観る。1996年度ベルリン映画祭銀熊賞受賞作品である。これで同作品を二回観たことになる。一度目は岩波ホールで観た。アンジ…

本村俊弘の旭町日記(24)

平成15年4月29日(火)・緑の日―2003年 午前中、NHKの番組『空海が夢見た宇宙―高野山1200年の至宝』を見る。 夜、12チャンネルの番組『ガイアの夜明け』を見る。番組では発展する中国の裏側で、自由市場による競争で国営企業が次々に競争…

本村俊弘の旭町日記(23)

平成15年4月28日(月)―2003年 仕事を終えて新宿まで飲みに行った。友人4人で新宿パークタワーへ行き、PARK HYATT TOKYOの41階にあるTHE PEAK BARでビール・ワイン・カクテルを飲んだ。2時間以内、五千円で飲み放題であった。41階からの眺め…

本村俊弘の旭町日記(22)

平成15年4月27日(日)―2003年 朝6時に起床し、7時から断続的に雑事をこなしながらピアノの練習をする。午後から外出し池袋西口にある勤労福祉会館で、医療保険の講習会に出る。帰りに池袋西口広場を通るとバングラデシュの祭りをやっていて、数…

本村俊弘の旭町日記(21)

平成15年4月26日(土)―2003年 仕事を終えて帰宅して午睡したが、その前にHistory Channelの番組『進化する銀行』を午後三時〜四時まで見る。「Bank of America」の社史を映像で知ることが出来た。1904年にイタリア系移民のA・P・ジャニーニ…

本村俊弘の旭町日記(20)

平成15年4月25日(金)―2003年 仕事帰りに駅近くの出張所で、市議会議員選挙の不在者投票を済ませた。誰に投票していいか決めかねていたが、全盲の候補に投票した。日曜日は忙しいので、棄権しかねなかった。駅近くで投票できるのはありがたい。そ…

本村俊弘の旭町日記(19)

平成15年4月24日(木)―2003年 午前中の仕事を終えて、池袋の新文芸座へ向かった。今日の上映は一本目がスタンリー・キューブリック監督作品で、1964年制作の『博士の異常な愛情』(原題「Dr Strangelove or How I learned to stop worring and…

本村俊弘の旭町日記(18)

平成15年4月23日(水)―2003年 今日も仕事を終えてから、池袋の新文芸座にアメリカ・コロンビア映画二本立てを、観にいった。一本目は1969年製作、デニス・ホッパー監督・脚本・出演の『イージー・ライダー』(原題「Easy Rider」)、他の出演…

本村俊弘の旭町日記(17)

平成15年4月21日(月)―2003年 今日は50分ほど残業して、駅前で夕食を摂って七時十五分頃帰宅した。ニュースで野茂英雄投手が大リーグ通算100勝を達成したことと、ヤンキース松井秀喜選手の連続試合出場が途切れなかったことを知って、嬉しく…

本村俊弘の旭町日記(16)

平成15年4月20日(日)―2003年 午後から外出して、池袋の新文芸座に出向き映画三昧であった。五〇年以上の古い映画を大型スクリーンで観られる機会を逃したくなかった。今まで観た感想は、映画は映画館で観るに限るということだ。二本観たが一本目…

本村俊弘の旭町日記(15)

平成15年4月19日(土)―2003年 仕事帰りに、池袋西口にある新文芸座へ行き、コロンビア映画名作選二本を観る。二本ともフランク・キャプラ(Frank Capra)監督作品で、一本目は1934年製作『或る夜の出来事』(原題「It Happened One Night」)、…

本村俊弘の旭町日記(14)

平成15年4月17日(木)―2003年 毎朝、目覚し時計は午前6時ちょうどに鐘を鳴らす。午前7時15分頃にアパートを出て午前7時25分頃に東武東上線川越駅から池袋行きの電車に乗る。仕事場には8時15分頃に着く。今夜、月は午後7時21分に満月…

本村俊弘の旭町日記(13)

平成15年4月15日(火)―2003年 仕事を終えてから、新文芸座でアメリカコロンビア映画名作選の2本立て映画を観た。帰宅したのは午前0時10頃だった。さすがに疲れたが映画好きの自分にとっては楽しく、またアメリカ人の考え方、価値観を知る手懸…

本村俊弘の旭町日記(12)

平成15年4月14日(月)―2003年 今日、新しく人の名前を知った。室町時代の人で名は東陽英朝禅師。生没年は1428年〜1504年である。禅師は『句双紙』という書物を編纂したという。『句双紙』が重要なのはこの書物が、『禅林句集』の母体にな…

本村俊弘の旭町日記(11)

平成15年4月13日(日)―2003年 今日はピアノと声楽のレッスン日で、午後から3時間、ピアノと発声の練習をした。ピアノのテキストは『HANON』(全訳ハノンピアノ教本)全音楽譜出版社刊を使っている。なぜピアノを練習するのか?ピアノが大好きであ…

本村俊弘の旭町日記(10)

平成15年4月12日(土)―2003年 仕事を終えての午後、池袋にある新文芸座で2本立てのアメリカ(コロンビア)映画を観た。1本目は一九五三年制作のフレッド・ジンネマン監督作品『地上より永遠に』で、俳優のバート・ランカスター、モンゴメリー・…

本村俊弘の旭町日記(9)

平成15年4月10日(木)―2003年 半日の仕事を終えて、新宿南口、高島屋十二階にある映画館に、フランスのドキュメンタリー映画「WATARIDORI」を観にいった。監督は「ミクロコスモス」・「キャラバン」等を制作している、フランス人のジャック・ぺラ…

本村俊弘の旭町日記(8)

平成15年4月9日(水)―2003年 ここ数ヶ月にわたって毎日、カセットテープの音楽を聞きながら通勤している。満員電車の中ではストレスが昂ずる。心を落ち着かせるのに役立っている。ヒトは限られた空間に多数閉じ込められると、攻撃的な性格が表れや…

本村俊弘の旭町日記(7)

平成15年4月7日(月)―2003年 『現代詩手帳』の特集「アメリカのポストモダン」(1999年7月号)を読み続ける。ゲーリー・スナイダーの次の言葉が印象に残った。「違う言語も学び、出来るだけ広く人間性をそなえるようにし、よくものを知り、意…