microcosmos  4

日々の思索

本村俊弘の霞ヶ丘日記(56)

2014年(平成26年)3月18日(火)

ボリス・パステルナーク著「ドクトル ジヴァゴ」:リルケと共に、20代に最も影響を受けたロシアの詩人である。主に北海道大学教授の工藤正広氏の翻訳であったが、むさぼるように何度も何度も読み返した。僕のロシア文学体験はパステルナークを端緒とするものだった。マンデルシュターム、ツヴェターエワ、アフマートヴァ、エセーニン、マヤコフスキー、エフトシェンコ、ソルゼニーツイン、トルストイドストエフスキー、ソルゼニーツインなど。
パステルナークの父親はユダヤ系ロシア人で、美術学校で教える有名な画家であった。リルケは作家のルー・アンドレアス・ザロメとロシア旅行へ出かけるが、モスクワ駅でパステルナーク親子の出迎えを受ける。詩人パステルナークは幼少期に20世紀最大の詩人と邂逅を果たしている。時を得て詩人となったパステルナークはリルケの口利きで、ドイツで発行されている文学誌に詩を発表し、ヨーロッパデビューをはたしている。
パステルナークはある日、権力者スターリンから電話をもらう。内容はユダヤ系ロシア人の詩人、オシップ・マンデルシュタームに関するものだった。マンデルシュタームはスターリン批判ととられるような1編の詩を書いていた。その詩が当局に知られることになり、マンデルシュタームは官憲により捕らえられてしまう。ロシアに粛清の荒らしが吹きまくっているさなかであった。ロシアは詩人の國である。スターリンはマンデルシュタームの詩人としての値踏みをすべく、パステルナークに電話したのだった。パステルナークはスターリンからの電話がマンデルシュタームの運命を左右するものとは、知るよしもなかった。普通にマンデルシュタームの詩に関する印象を語ったのである。電話は短いものであった。その後、マンデルシュタームは寒冷地シベリアの強制収容所に送られ、そこで短い一生を終えることになった。パステルナークはマンデルシュタームがシベリア送りになったことを知り、なぜあの時マンデルシュタームを強く弁護しなかったのかと後悔したのだった。
何時に目覚めたのかは、分からない。寝床で天使祝詞を唱える。起床して時計を見ると午前3時17分だった。ガスストーブのスイッチを入れる。トイレで用を足す。静かである。長編詩に取り組む。花粉症が出始めたのだろう。くしゃみが何度も出る。そのたびにティッシュペーパーを1枚、2枚と使う。僕はティッシュペーパーがないところでは生きられないのではと思うほど、よく使う。ボリス・パステルナークに関することを書き込む。
お腹が空き午前5時25分から朝食を摂る。食事中はBSでワールドWAVEモーニング(国際ニュース)を見る。クリミア自治共和国の独立とロシア編入のニュースと行方不明になっているマレーシア航空機の捜索状況が主に伝えられている。食後、横になって休む。午前7時10分に起きる。洗面所で電気カミソリを使って髭を剃る。ブラインドを平行にして外の様子を見ると晴れのようだ。入浴後、下着を洗濯したものに替え、急いで出勤の準備をする。喉の渇きを覚えたので、冷蔵庫からヤクルト2本を取り出して飲む。午前7時55分頃に出勤する。一昨日からマフラーなしで外出している。手袋は使用している。駅前から走って準急池袋行きの電車に乗る。成増駅で各停池袋行きの電車に乗り替えた。車中では読書に集中した。あと数ページで読了となるところまできた。次に読む本は既に決めている。無事に職場につき、仕事を開始する。今日の御昼ご飯はローソンで買ってきたコーンサラダ(137円)と電子レンジで3分温めて食べる大盛コシヒカリご飯(250g)とパルシステム埼玉で購入したレトルト食品の5種類の緑黄色野菜カレー中辛(200g)である。特に緑黄色野菜カレーは炒め玉ねぎを使っていて、美味しい。飲み物はKAGOMEの野菜1日これ一本(食塩・砂糖無添加・野菜汁100%)。風が強く吹いている。ニュースで、春一番と言っている。帰宅する頃にはおさまって欲しいのだが、どうだろう。
午後5時40分頃に退社する。職場近くの歯科医院で受診する。帰りの電車で読了する。消費税増税前に半年分の定期券を駅の定期券売り場で購入する。新規ではなく継続にマルをした。東武ストアで買い物をして帰宅する。午後7時を過ぎていた。衣服を着替えて、手洗い、5回のうがい、洗面をする。夕食後、横になって休む。1時間半ほどして起きる。長編詩をプリントアウトする。何回も目を通す。夕方頃から後頭部辺りが重く観じられ、また気分不良であった。少し良くなったが、まだ違和感がある。風邪をひいたのかも知れない、または花粉症によるものかも知れない。












2014年(平成26年)3月17日(月)

午前6時10分に起床する。ガスストーブのスイッチを入れる。トイレをして洗面、歯磨きをする。お風呂を追い炊きする。お風呂場に干していた衣類をたたみ収納する。電気カミソリで髭を剃る。朝食の準備をする。朝食を食べながら、BSで国際ニュースを見る。午前7時58分頃に出勤する。車中は読書をする。2回の乗り換えをした。
お昼休みに大学院の二年間の授業料及び入学金を郵便局の窓口で専用用紙を使って支払った。
午後5時半に帰宅の途につく。疲れを感じていたのでもう今日はだめだと思っていたが、帰りの電車の中で頑張って読書した。寄り道をせずまっすぐ帰宅した。帰宅してからゴミ出しをして、衣類をフロントへ持って行きクリーニングに出す。支払いは後払い。仕上がりは22日(土)になりますと女性のフロントスタッフに言われる。受取書をもらう。衣服を着替え、手洗い、うがい(5回)、歯磨きをする。夕食をサッサッサっと支度して、午後7時のNHKニュースを見ながら食べる。ベビーシッターに預けていた二人の幼児の内、一人が死亡と報じていた。場所はいつも使う私鉄の駅そばであったので、驚く。横浜に住む母親がインターネットでベビーシッターをさがして依頼したそうだが、子どもを引き取ろうとしたところ、連絡が取れず、警察に通報して警官がベビーシッターをしているマンションへ行くと、長男の子どもが死んでいたそうである。闇のベビーシッターはこの事件をきっかけに、摘発が進むのではないかと思う。社会的な背景としてどのような問題が横たわっているのか、実態解明が求められるだろう。
午後9時に床につく。











2014年(平成26年)3月16日(日)

目覚めてから、ウトウトしていた。天使祝詞を唱える。起床する。時計を見ると午前4時17分だった。ガスストーブのスイッチを入れる。室温は19℃と表示された。トイレを済ませ、洗面、歯磨きをして電気カミソリで髭を剃る。胃が重くムカムカしていたが、トイレ後は少し楽になった。浴槽の掃除をする。浴槽の掃除は意外と厭なものだ。腰を曲げたりして体の負担が大きいのである。洗濯し終わった衣類をお風呂場に干す。干し終わったら乾燥の時間を2時間に設定してボタンを押す。原発事故以来、外で干すことを控えてきた。さらに最近のPM2.5の飛来で外に干すことがためらわれる。有機ココアを温めて書斎へ運ぶ。長編詩に取り組む。完成までもう一息である。
午前7時からNHKニュースを見る。マレーシア航空機の捜索とウクライナ情勢、特にクリミアでの住民投票直前の現地模様が伝えられた。
ベッドに横になって休んでいたら、そのまま眠っていた。長編詩の疲れが出ている。時計を見ると午前10時3分であった。飛び起きていそいで洗面をして、衣服を着替え帽子を被り手袋をはめ、徒歩で教会へ向かった。お天気は快晴で、問題ない日曜日の朝である。教会へ着くとミサは既に始まっていたが、洗礼志願者の入門式を組み入れていたために、ミサの進行はいつもより遅れていた。洗礼志願者は1年に及ぶカトリックの教義を勉強してきて、来月の復活祭に洗礼を受ける予定である。ミサ後、復活祭を迎えるにあたって告解が行われた。二人の司祭が別々の部屋で信者の告白を聞き、許しの秘蹟を与える。僕も信者の列に並び5番目に、自分の犯した罪を司祭に告白した。時間はいつもより過ぎていた。隣りにある販売所でY紙を購入し、お寿司屋さんでカッパ巻きを買って帰宅する。午後12時08分だった。昼食を食べる。昼食後、眠くてしようがなく横になって休む。またいつの間にか眠ってしまう。体が要求するのであれば、それに従うほうがいいだろう。
午後6時からBSで大河ドラマ「軍師 管兵衛(11)ー命の宴ー」を観る。 夕食を食べながらNHKニュースを見る。横田夫妻が孫のキム・ウンギョンさんとモンゴルのウランバートルで会う。横田めぐみさんの娘と言われるウンギョンさんは現在26歳になり、結婚して子どもが一人いることがわかった。面会にめぐみさんはいなかったそうである。めぐみさんの夫が同席していたそうである。娘に会いたい横田夫妻の焦りがこちらにも伝わってくる。
午前11時からBSで、「ボブ・ディラン 30周年記念コンサート in New York 1992 part 1」を視聴する。22年も前のビデオだが、ギーターの響きを聞けば鳥肌が立ってくる。1番バッターはスティーヴィー・ワンダー、2番目はルー・リード、もう後戻りは出来ない と烏会っている。3番目はエディー、4番目はジョニー・キャッシュ、5番目はウイリー・ネルソン、











2014年(平成26年)3月15日(土)

午前4時頃に目覚め17分にトイレに立ち、再び床につく。ガスストーブををつけたので部屋が暖まるまで横になる。天使祝詞を唱え続ける。「めでたしせいちょうみちみてるマリア しゅおんみとまします おんみはおんなのうちで しゅくせられたもう・・・」










2014年(平成26年)3月14日(金)

午前4時47分に起床する。起きる前に天使祝詞を3階唱える。起きてからリビングのガスストーブをつけ、トイレと洗面と歯磨きを済ませ、電気カミソリで髭を剃り、有機ココアに蜂蜜とミルクを入れて鍋で暖めて書斎にはこぶ。バッハの曲をBGMにして長編詩に取り組む。もう少しである。出来上がったら。何度も声に出して朗読を繰り返し、リズム、音楽性、淀みなさなど統一感を阻害するものがないかどうか調べるつもりである。声を出して読むことは大切なことだと考えている。人がまだ文字を持たないときは声の役割は絶大だったと思うからである。口承ということを考えると筋肉の働きなしには考えられないので、言葉は肉体の動きと切り離せないのである。今のデジタル世界の言葉の使い方よりは、遙かに口承による言葉の使い方のほうが歴史は古いだろう。
午前6時45分に書斎を出て、出勤の準備に取りかかる。長編詩はほぼ9割り方出来上がった。ひと山越えた感じである。テレビをつけBSで国際ニュースを聞きながら作業を行う。午前7時52分頃に出勤する。準急池袋行きの電車に乗り、次の駅で急行池袋行きの電車に乗り替える。途中の駅で再度始発の各停池袋行きの電車に乗り替える。読書した。無事に職場につき、仕事を開始する。少し疲れを感じている。動きが重い。
職場の近くで歯科受診を済ませて帰宅した。帰りの電車で読書したが、途中で寝てしまった。午後7時を過ぎていた。衣服を着替えて、洗面と手洗いとうがいをした。夕食を食べながらニュースなどを見る。疲れが出ているので、早く床につくつもりである。書斎の暖房はいつ使用してもいいようにスイッチを入れた。午後9時に床につく。











2014年(平成26年)3月13日(木)

アルブミンは肝臓で作られ、主に血中(血漿)に存在する。体液循環システムになくてはならないタンパク質で、膠質浸透圧に関与している。アルブミンの基準値は4〜5g/dlで、略号はAlbで表記されている。疾患名としては、アルブミン低血症等がある。人に投与する場合、アルブミン血液製剤なので日本赤十字社より運ばれてくる。献血に頼っているので、使用回数に制限があり、貴重なものなので値段は万単位の高価なものになっている。アルブミン値は栄養状態を知る指標にもなるので、管理栄養士にとっても大事な数値である。
たぶん午前1時半頃に目覚めたのであろう。起きると午前2時02分だった。リビングのガスストーブのスイッチを入れる。トイレと洗面を済ませてから、書斎に篭もる。どうも疲れのせいか、胃の調子がよくない。丹田呼吸法を行う。ココアを温めて飲む。睡魔に襲われ、午前4時12分に書斎をでて床につく。温かい有機ココアを飲んだら、胃の重だるい感覚は少しすっきりしてきた。ホッとする。午前6時半頃に起床する。朝食を食べながら、国際ニュースを見る。1にウクライナ情勢と米ソ対立、2にパレスチナガザ付近から148発にものぼるイスラエルへのロケット攻撃、報復行動は時間の問題である。3にマレーシア航空機捜索の件、未だに発見されていない。午前7時52分に出勤する。乗り換えは1回で車中で読書した。無事に職場につき、仕事を開始する。仕事が終わったら、神山睦美氏の講座に参加する予定である。
昼食はローソンで「月見とろろそば」を買って食べた。半熟卵と海苔とネギととろろがついていた。値段は税込みで435円だった。他に納豆の手巻き寿司を買った。両方とも電子レンジで少し温めて食べた。職場でおにぎりを食べてから、池袋へ向かう。講座は既に始まっていた。神山氏の話に耳を傾ける。西武デパートのお菓子売り場で年輪屋のバームクーヘンを購入する。午後8時42分発の電車に乗って帰宅する。今夜は早く寝ようと思う。帰りの電車の中では寝なかった。途中から読書をした。午後9時38分に帰宅した。衣服を着替えて、洗面、手洗い、うがい、歯磨きをした。オレンジを3個食べる。寝る準備をする。念のためにいつ使用してもいいように、書斎にある暖房器具のスイッチを入れる。












2014年(平成26年)3月12日(水)

午後2時18分頃に起床。トイレと洗面を済ませてから、書斎に篭もる。有機ココアにミルクと蜂蜜を入れて、書斎へ運ぶ。バッハの曲を流す。アロマの水蒸気を発生させる。
午前5時50分に書斎から出る。リビングにあるガスストーブのスイッチを入れる。お風呂を追い炊きする。少し横になる。電気カミソリで髭を剃り、その後朝食の準備をする。ブラインド越しに外を見る。お天気は雨が今にも降りそうな曇りである。
朝風呂して、午前7時56分頃に出勤する。今日は手袋を忘れることなく、ポケットに入れた。駅に向かう途中から手袋をはめる。準急池袋行きの電車に乗り、次の駅で急行池袋行きに乗り替え、さらに途中の駅で始発の各停池袋行きの電車に乗り換えた。座席に座れたので、ゆったりとした気持ちで読書することが出来た。無事に職場につき、仕事を開始した。お天気は晴れに近かった。
色彩は宇宙の光源より来たりて、何処かへ去らん。人、色彩を得んとすれどもその果てしなき有り様に、ただ立ち尽くすのみ。
この絵の素晴らしさは一目瞭然である。髪、繊細な手、 表情など、いずれにしても素晴らしいの一言である。この人物の内面をも表現出来ていることに、驚きと感動を覚えずにはいられない。静かな時に1対1で向き合うことが出来ればと願望する。時空を超えて人と人との出会いがなされる瞬間である。そのようなことを可能とするもののことを芸術というのだろう。両手を合わせる姿は古今東西、同じ意味を表しているのだろう。人間の基本的な所作とも言える姿である。
疲れが出ている。帰宅する電車の中では読書しなかった。座席に座ると眠ってしまった。今夜も気力を絞って、仮眠を取った後に長編詩を完成するために、書斎に篭もる予定である。既にデリンギのスイッチを入れて、部屋を暖めている。










2014年(平成26年)3月11日(火)

何時に目覚めたのかは分からない。冬でも掛け布団なしで毛布3枚のみで通しているので、朝方になると寒く感じる時もある。ウトウトしていたが、天使祝詞を3階唱えて起床する。ガスストーブのスイッチを入れる。室温は19℃と表示された。時計を観ると午前3時12分だった。お手洗いと洗面をして、書斎へ行き長編詩に取り組む準備をする。電気をつけ、アロマの水蒸気を出すようにして、TuneINでカナダのバッハ専門局ラジオでバッハの音楽を流し始める。珈琲にミルクと蜂蜜を入れて、書斎へ運ぶ。外の静けさが部屋の中にまで伝わってくる。
3年前の今日の日が思い出される。職場の病院の5階で、患者さんに施術している最中に地震に遭遇した。揺れがもう止まるだろうと思っていたが、なかなか止まらず建物が崩壊するのではないかと思い、俺はここで死ぬのかも知れないと思った。死を意識した瞬間に怖くてしようがなかった。あるご高齢の男性患者さんは恐怖のあまり、叫び声をあげた。職場自体が緊急事態を迎え、安全確認をおこなった。テレビをつけ情報を収集した。ヘリコプターからの映像をみて驚いた。津波が畑や人家、道路などを飲み込んでいた。宮城県仙台市の名取地区だったと思う。涙が出て止まらなかった。わたしの人生において3.11東日本大震災は忘れられないものなった。黙祷。
午前6時55分に書斎から出て、朝食と出勤の準備をする。午前7時からテレビをつけNHKニュースを視聴しながら作業をする。午前8時2分頃に出勤する。手袋を忘れた。左手をポケットに入れて駅へ向かう。震災の犠牲者に祈りを捧げながら歩いた。駅前の広場にある車の進入を防ぐ鉄のポールに、右手第3指中手骨頭付近をぶつける。普段は全く起こらないことだが、不思議と手袋を忘れた日にぶつけるとは。すぐに確かめたが、血などはでていなかったので安心した。手揉みした。新木場行きの電車に乗る。座ることが出来た。読書に集中出来た。成増駅で始発の各停池袋行きの電車に乗り換えた。無事に職場に着き、仕事を開始する。午後5時35分に仕事を終えて、帰宅の途につく。帰りの車中でも読書をした。駅に着くとどこかの団体が集会を開いていて、地べたにキャンドルを多数置き、コンサートを開いていた。寄り道をせず、まっすぐ帰宅する。帰宅後、衣服を着替え、手洗い、うがい、歯磨き、洗面を行った。夕食を食べながら、NHKニュースを見る。ニュースは時間を8時まで延長して、東日本大震災3周年を中心に報道している。
今夜も仮眠をとって、長編詩を完成すべく書斎に篭もるつもりでいる。