microcosmos  4

日々の思索

本村俊弘の霞ヶ丘日記(54)


2014年(平成26年)2月28日(金)

午前5時56分頃に起床する。お風呂の準備をする。ガスストーブのスイッチを入れる。午前6時からテレビをつけ、BSでワールドWAVEモーニングを見ながら、作業を行う。午前6時15分から入浴する。お風呂に入る前に体重計に乗る。微増。38分頃にお風呂から上がる。電気カミソリで髭を剃る。左手親指の先端辺りがひび割れてバンドエイドを貼っていたのだが、古くなったので剥がす。傷の痛みはなくなっていた。朝食を摂る。ブラインド越しに外を見ると雨は降っていない。曇天である。
午前7時50分頃に出勤する。真の成功は心の中にある。今朝の通勤電車の中で、久しぶりに文章を読んだ。読んだものは昨日の神山氏の公開講座でいただいた教材のコピーである。自分のやり方として、教材を何度も読み返す方法を取っている。タイトルは「第1章 カタルシスとしての親和力」(神山睦美著:「希望のエートス 3.11以後」)というものだ。昨日の講座の内容は、僕に示唆と確信を与えるものになった。今の自分の精神状況に照らし合わせてみて、ぴったりと焦点があったのである。状況と言葉は密接な関係にあるのだろう。そして神山氏との出会いはまさに言葉との出会いであった。思いのほか意義ある講座になった。具体的に言えばデンマークの作家アイザック・ディネ−センの言葉である。アイザック・ディネ−セン(Isak Dienesen)という名はペンネームで男性名であるが、作家自身は女性である。本名はカレル・ブリクセン(1885年/明治18年/1962年/昭和37年)。横にそれてしまうが、僕は女流作家という呼び方は採用しない。何故なら女流というならば男性に対しては、男流作家と言わなければならないと思うからだ。神山氏はディネセンの言葉を、ハンナ・ア−レント(1906年/明治39年−1975年/昭和50年:hannah Arendt)著「暗い時代の人々」(阿部斉訳)から知ったと述べられた。「あらゆる悲しみは、それを物語に変えるかそれについての物語を語ることで、耐えられるものとなる」(阿部斉訳)というディネ−センの小説「アフリカの日々」にある言葉をアレントは引用している。僕はこの言葉を何度も何度も読みかえし、祈りの文言のようにしたいと思ったのである。夕食後、少し横になって休憩してから長編詩を完成すべく、机にむかっている。最近はテレビを消していることが多い。疲れを感じたら横になって休み、再度机にむかい長編詩に立ち向かうことを繰り返している。












2014年(平成26年)2月27日(木)

わたしという現象は隠すことよりも、明らかにする方向へ向かう。神山睦美氏の公開講座に出席して、帰宅中。雨が降り続いている。池袋始発の電車に乗り、座席に座ることができた。車内はあっと言う間に混雑した。夕食はまだなので空腹を覚える。自宅のある駅に着くと雨はやんでいた。日本文化の特徴として、「間」というものがあげられるが、わたしは「間」よりも「窮屈」さというものを取り上げたいと思う。人間関係においても、和食の押し寿司にしても功罪相半ばして面白いと思うのだが。「間」を感じるより、「窮屈」だなあと感じることが多い。上司になったものはその下位にあたる人々を管理しやすいように、小さい枠組みの中に入れてしまう。下位にあるものは窮屈で仕方がないのである。その中ではいがみ合い、傷つけ合う。新しい発想も生まれにくい。「間」逆といおうか、隙間を埋めることが無駄をなくすことなのである。「窮屈」は「縮み」でも、折り紙を代表とする「折りたたみ」でもない日本文化の一つの現実としてのキーワードだと考えている。お辞儀をする、という行為は見方を変えれば「窮屈」さであり、「縮み」であり、「折りたたみ」でもあるような象徴的な行為に思えてならない。午後9時半頃に帰宅する。午後11時45分頃に床につく。今日も平凡だけどそれなりに、いろいろありました。今日は書く力がない。明日に希望を託すとしよう。











2014年(平成26年)2月26日(水)

午前0時頃に起きて、長編詩を完成すべく書斎に閉じこもる。バッハの曲を聴きながら、言葉を吟味し推敲を重ねていく。午前3時50分頃、眠気が一気にやってきた。欠伸は出ないが瞼が閉じてきた。床につく。午前6時半にiPhoneのタイマーで目覚める。42分頃に起床する。お風呂の準備と朝食の支度をする。ガスストーブとテレビのスイッチを入れる。BSで国際ニュースを聞きながら支度をする。お風呂で寛いでいたら、時間がなくなり、慌て出勤の準備に取り掛かる。午前7時57分頃に出勤する。早足で祈りを唱えながら、駅へ向かう。急行池袋行きの電車に乗る。iPod miniビル・エバンスのピアノ演奏を聴く。無事に職場に着き、仕事を開始する。









2014年(平成26年)2月25日(火)

午前3時10分頃に夜食として、ラーメンにトマトを入れて食べる。午前4時45分頃に床に就いたが、寝付かれずお祈りをする。午前6時頃に入浴する。お風呂から上がって電気カミソリで、髭を剃る。野菜ジュースをコップ一杯飲む。午前7時47分頃に出勤する。急ぎ足で駅へ向かう。各停池袋行きの電車に何とか乗ることができた。空いていたので、座席に座った。iPod miniビル・エバンスのピアノ演奏を聴く。無事、職場に着き仕事を開始する。一日の仕事を終えて帰宅の途についた。もう暗くなってしまった。午後は疲れが出てしまった。今日は寄り道をせず、真っ直ぐ帰宅しようと思う。長編詩を完成させることが、当面の課題である。今夜もテレビを消して、推敲したいと思う。仮眠してから深夜に起きて行いたいと思う。











2014年(平成26年)2月24日(月)

午前5時39分に起床する。蛍光灯とガスストーブのスイッチを入れる。室温は20℃と表示。衣類をネットに収め、粉の洗剤と液体の柔和剤を洗濯機の中に入れてボタンを押す。洗面と歯磨きをする。用を足す。外はまだ暗い。2回目となる長編詩の推敲をする。長編詩がいつ完成するのか未定である。これを終わらせなければ、詩の領域では前に進めない。蓮根畑を歩くようにもがいている。朝食を済ませて、寝巻きから外出着に着替えて、身の回り品を身につけ、午前7時47分頃に出勤する。お天気は曇天。寒くはそれほど感じない。駅に着くまで、天使祝詞を唱え続ける。今日も医療事故が起きないようにお願いをした。どこに落とし穴があるか、わからないのだから。何時もよりひとつ早い各停池袋行きの電車に乗る。座席が空いていたので座る。イヤホンでiPodminiにあるビル・エバンス演奏のJAZZ Piano曲を聴く。無事に職場に着き、仕事を開始する。仕事を終えて帰宅の途についた。土曜日に旅立たれたご高齢者の方がおられた。病院で働いていると人の死が特別なことではなく、語弊があるかも知れないが、あたりまえのこととしてある。死も自然であるのだ。帰りの車中で長編詩の推敲を行った。買い物もせずにまっすぐ帰宅した。手洗い、洗面、うがいをした。風邪をひかないための健康法である。午後7時からNHKニュースを見る。ソチオリンピック閉会式とウクライナ情勢を注視した。夕食後、テレビを消して長編詩の推敲に取り組む。エミール・ノルデ











2014年(平成26年)2月23日(日)

夜中に一度起きて小用を足したが、何時頃だったかはわからない。午前6時頃に目覚める。すぐに天使祝詞を1回唱える。唱え終わったら起床し、ガスストーブをつける。室温は20℃を表示。洗面と歯を磨き、手で髭の長さを感知しながら電気カミソリで髭を剃り、衣類を洗濯する。用を足して、ブラインドを傾けて外の天気を確かめる。曇りのようだ、そして寒そうだ。お風呂のスイッチを入れる。睡眠を十分に取ったので体が楽だ。観葉植物に水をやる。朝食の準備をする。うどんを湯がく。テレビをつけ午前6時52分から気象情報とNHKニュースを見る。ウクライナ情勢に変化があった。暴力が一先ず停止されたことを喜ぶ。ウクライナ軍は政治に介入しない方針に、胸をなで下ろす。入浴して下着を洗濯したものにし衣服を着替えて、徒歩で教会へ行く。ミサは既に始まっていた。一人で祈ることばかりではなく集いあって祈りを共に捧げることは貴重なものである。教会とは建物ではなく、人々の祈りの集いのことである。トンネルの中を歩いている僕にとって日曜日の集いは、キリスト共同体のなかにあることを再認識させてくれる。パレスチナにおける原始キリスト共同体のように建物はたいしたものでなくても、心を一つにして主への賛美を捧げる行為は尊いことだと思っている。ミサ後、隣の販売所でY紙を購入して、駅前のガストでドリンクバーを注文して、買ってきたY紙を30分ほど読む。東武ストアでお寿司を買って帰宅する。午後12時を過ぎていた。午後1時頃にお寿司をいただく。満腹になると眠気が一気にやってきた。午睡する。午後5時からBS−TBSで、地球千年紀行「先住民族の叡智に学ぶ」を観る。午後6時からBSで大河ドラマ、軍師 官兵衛(8)「秀吉という男」を観る。午後9時からEテレで、クラシック音楽館「N響コンサート 第1770回定期演奏会」を鑑賞する。1番目の曲目はフランスの作曲家マルセル・プーランク(1899年/明治32年ー1963年/昭和38年)の「グロリア」で指揮者はシャルル・デユトワ(1936年/昭和11年生まれ)氏、ソプラノはエリン・ウォール(カナダ出身)女史、合唱は新国立劇場合唱団、国立音楽大学。2番目の曲はベルリオーズ作曲の「テ・デウム」で、テノールはジョゼフ・カイザーだった。2013年12月6日/NHKホール。今回の定期演奏会の曲はいずれもフランスの作曲家の作品で、カトリック典礼に使われる宗教音楽であった。合唱も入っていたので、会場で実際に聴くと迫力に圧倒されたのではないだろうか。ピンク・ペッパー(pink pepper):胡椒とは関係ない植物で、ウルシ科サンショウモドキ属コウショウボクの実を乾燥させたもの。胡椒のような辛味はないが、独特のhotさを感じる苦みと強い香りがある。コショウボクの原産地は南アメリカで、ブラジル種とペルー種がある。日本で流通しているpink pepperはこの種である。※FB friendの吉田麻里香さんの料理に使われていたので調べました。調べることと書くことを通して、記憶に留めたいのです。











2014年(平成26年)2月22日(土)

午前5時半頃に目覚める。目覚めた瞬間に天使祝詞を唱える。祈りを持って今日の活動を開始する。今日という日がどういう一日になるかは誰にもわからない。予定は未定とよく言うがその通りだと思う。今日が自分の命日となることもあり得る。悲しんでばかりはいられない。前に進もうと思う。午前7時55分頃に出勤する。今朝は風が冷たく感じられる。座席に座ることが出来た。昨日は良い知らせがあった。放送大学大学院の科目「アフリカ世界の歴史と文化」の試験結果が、B評価で単位取得出来たという郵便を受け取った。2年間こつこつと勉強した結果、総取得した単位が22単位となった。志望動機と研究計画書をまとめ、論文試験と面接を受けて4月から修士全科生の合格を得て、2年間をかけて修士論文(8単位)に集中して取り組むことが出来ることになった。一つ一つの手続きを滞りなくしていくことは、難関でなくてもそれなりに緊張と労力を強いられた。結果よりもそのprocessが自己を鍛錬してくれる。ようやく1週間の仕事を終えて、帰宅の途についた。最近は車中での読書が出来ない。読書をしようという気力がないのだ。まだトンネルの中なのだろう。今日もお祈りをしながら、病室を回った。帰りの電車も座席が空いていたので、座った。最寄り駅に着いた頃には暗くなる直前で、かすかに西の空が濃い青を見せていた。帰り道は身にこたえる寒さだった。帰宅後、すぐにガスストーブのスイッチを入れた。












2014年(平成26年)2月21日(金)

浅田真央選手のフリーの演技に感動して、涙が止まりません。ほんとに涙腺が弱くなりました。しかし涙が出ても当然と思います。涙なくして見れなかった。ラフマニノフの魂が甦って浅田真央選手を後押ししているとも感じました。ラフマニノフの曲を選択したのは正解だったと思います。ラフマニノフよ、音楽をありがとう!午前6時32分頃に目覚め、50分頃に起床する。人間の試練は突然にやってくる。








2014年(平成26年)2月20日(木)

午前1時05分に起床する。ガスストーブのスイッチをONにして、すぐにテレビをつける。既にフィギュアスケート女子ショートプログラムの生中継は始まっていた。小用を足し、洗面と口腔を洗浄し、ミルクと有機ココアでホットココアを作る。コレで準備万端。ガンバレ、ニッポン!村上佳菜子選手、鈴木明子選手はパーフェクトな演技ではなかったように思います。点数が思ったほど上がっていません。残念です。日本のエース、浅田真央選手に望みを託すことになります。浅田選手、ガンバレ!午前3時41分、浅田真央選手のグループがリンクに登場してきた。心臓がぱくぱくしてきた。緊張しすぎて、苦しい。ガンバレ、真央ちゃん!うーん、厳しいなあ。日本人選手三人に緊張感が強すぎて、伸びやかさが足らなかったように思う。線をなぞるようでスピード感がなかった。その中でも鈴木明子選手が自由さをもって滑っていたように観じられた。外国人コーチについた羽生選手と日本人コーチについた他の選手の違いは、技術面もあるがよりメンタル面に表れているのではないかと思った。ショートプログラムの結果は残念の一言です。もう寝ます。いつかきっと会える、それが流れ星のような僕の願い事です。ウクライナの首都キエフでの衝突で、デモ隊に対する狙撃兵による発砲で死者が出ている。今日だけで死者数が100人を越えているとCNNは伝えている。ウクライナの今後の状況が心配である。これ以上の死者を出してはならないと強く思う。残された言葉は遺骨ではなく、種子なのです。

ポール・セザンヌ 作:「砂糖入れ、梨、青色のコップ」(1866年制作)