microcosmos  4

日々の思索

本村俊弘の霞ヶ丘日記(52)

2014年(平成26年)1月29日(水)

午前4時頃に目覚める。トイレに立ち、ガスストーブのスイッチをいれ再び床につく。過去を反芻し始める。うとうととするばかり。午前5時50分頃に起床する。お風呂のスイッチをいれる。洗面を済ませ、長編詩の推敲を始める。推敲中でも20年前の決断を後悔する思いが何度も襲ってくる。そのたびに心のエネルギーが減少していくように感じられる。もう元には戻らないのに、諦めるしかないのに、今になってこのような状態に陥るとは、不思議なものである。この20年間、その穴埋めのために頑張ってきたのではないかと考えるようになった。そしていくらガンバッテも穴埋めが出来ないことがわかったのが、先週の金曜日ではなかっただろうか。自分が下した20年前の結論が間違いであったことがはっきりとわかったのである。この20年という歳月が重く僕の体にのしかかってきた。そして悲しさが僕の心の中を川のように流れるようになった。
出勤したのはいいが、ヘリコプターが何機も飛んでいて何が起きたのだろうと、散歩している人に聞いたら、踏切事故で東上線が止まっているという。もう一人駅のほうから歩いてきた若者に聞いたら踏切付近で事故があって復旧の見通しがたっていないという。僕は帰宅して開通してから出勤することに決めた。職場に電話を入れる。
20年間の自分の行動が一つ一つ精査されている。そこに浮かび上がってきたのは、孤独な僕の幻影であった。僕はその幻影に向かって叫んでいる。幻影は何も応えず、消えた。また違う幻影が荒野の中で立ちすくんでいる。僕が手招きしても、反対方向に歩いていった。僕は一人になっていた。どこへ歩いていけばいいのか、わからなくなってしまった。幻影よ、僕の幻影よ、お前が行くところに僕を連れて行っておくれ。20年前の笑顔があった僕のいるところまで。
自分の愚かさが、写真に撮るようにはっきりとした。ため息が途切れることがない。食欲も落ちていて、ご飯を残すようになってしまった。心に急ブレーキがかかったようになってしまった。簡単な解決法はない。通勤電車の中では集中してマリア様へお祈りをした。お祈りは欠かさずやるつもりである。読書する気力がない状態が続いている。
精査して気付いたことは、僕は20年前から笑顔を喪失したことだ。心から笑うことが出来なくなっていたのではないかと思い知らされたことだ。笑うことを喪失した人間はどのように笑顔を回復することが出来るのだろうか。この一連の心の動きから、20年という歳月における自己の行動について、監査が入ったような感じである。職場では至って普通に仕事をこなしている。今日は鉄道事故のために、午後12時半に出勤した。そして午後6時半に帰宅した。大変な一日となった。
このインターネット上で書き連ねていることで、心配してくださったり、励ましの言葉をいただいたりしている。はた迷惑なことだと思うのだが、いただいたものは素直に感謝して心の支えとして明日につなげてゆきたい。

アンリ・マチス 作:「ニースの調度品」(1924年/大正13年制作)









2014年(平成26年)1月28日(火)

午前6時45分頃に起床する。朝風呂して、午前75分頃に出勤する。通勤電車の中で、昨日自分に訪れた思いが反芻を始めた。精神が病むということではなく、セミの抜け殻のようになっているのである。ある決断をしてから約20年という月日の間、僕の精神はさ迷っていたのだ。普通に働き、普通に寝て、職場の人たちと普通に酒宴していても、僕の精神は満たされない乳飲み子のようなものだった。そのことが先週の金曜日に明らかになった。いくら勉強をしても、いくら知識が増えても、いくら万巻の書を読んだとしても、それを埋め合わせることは、かなわないように思う。置き換えが出来ないものだ。僕は敗北した、そして人生に失敗したのだという思いに捕らわれ始めた。これからの人生をどのように生きていけばいいのか、分からない。主なる父は沈黙しておられる。どうしていいのか全く見当がつかない。新しい人生を歩むことが出来る日は来るだろうか。
2月の飛び石連休に長崎へ帰省しようと思い、職場の事務方に有休届けを提出する。飛行機ではなく新幹線を使い、車窓からの眺めを楽しみたい。こういう時は夜行寝台列車に乗りたかった。日本人はいいものをどんどん捨ててしまう生き方を選んでいると思う。帰省が気分転換になればいいのだが、、、。それほど甘くはないかもしれないが。じっとして堂々巡りしていても、良くはならないだろう。実家から見える長崎港の賑わいが心にいいかもしれない。小さい頃より入船出船の往来を楽しみとしていた。飽きることがなかった。今でも忘れられないのは貨物船がユニオンジャックをはためかせて入港したときだった。異国への憧れが自然と醸成されていった。















2014年(平成26年)1月27日(月)

午前3時10分頃に目覚め、用を足し、ガスストーブのスイッチを入れ、長編詩の推敲をする。午前4時45分に再度、床につく。
仕事を終えて、寄り道をせずまっすぐ帰宅する。時計を観ると午後6時35分頃であった。衣服を着替えて、手洗い、うがい、口を濯ぎ洗面をする。ガスストーブのスイッチを入れる。テレビをつけニュースを見る。NHKの新会長の発言がとりあげられていた。三ヶ月以内にやめることになるという予感がした。話に耳を傾けたが、言葉が軽いように思った。
午後7時半からクローズアップ現代「明日が見えない〜深刻化する若年女性の貧困化」を見る。若年女性の三分の一は年収が114万円ほどと言っている。なんと言うことだろう。格差社会の実態がここにもある。風俗店で働く女性が増えているそうだ。客が支払った4割が風俗店の取り分である。募集のうたい文句はシングルマザー大歓迎、寮・託児所完備だそうである。あるシングルマザーの月収は30万円だった。生活保護を申請したある女性は、生活保護の調査に時間がかかると役所にいわれ、風俗店で働こうと思い面接に来たそうだ。病気をしたために経済的困窮者となったそうである。どこも行き場がなくなった女性の受け入れ先として風俗店がある状況である。風俗店の経営者が相談になってくれるから、最初は泣いてばかりいたが、今は落ち着いて働く事が出来ているとも述べていた。給料から天引きしてお店管理で貯蓄している女性もいた。風俗店の経営者も、利用する者も男性で有り、女性を社会的弱者としてきたのも男性である。
サンドロ・ボッティチェッリ 作:「麗しのシモネッタ」(1480ー1485)
ボッティチェッリの本物の絵をワシントンDCのナショナルギャラリーで見たとき、それ以来、ボッティチェッリの絵に惚れ込んだ。














2014年(平成26年)1月26日(日)

午前4時51分に目覚め起床する。朝食後に疲労感を覚え、ベッドに横になる。体が重く感じられる。午前8時45分に入浴する。下着と衣服を変えて、自転車でミサに与る為に教会へむかう。隣りにある販売所でY紙を購入して、午前11時半頃に帰宅する。
午後6時からBSで、大河ドラマ 軍師官兵衛(4)「新しき門出」を観る。岐阜と命名したのは、織田信長と知る。それまでは美濃と呼ばれていた。














2014年(平成26年)1月25日(土)

僕は新しい朝を迎えた。起きてすぐにガスストーブのスイッチを入れ、ブラインドを平行にしてお天気を見る。雲が多く認められた。用を足し、洗面をし、歯を磨き、電気カミソリで髭を剃る。朝食の準備をする。放送大学大学院の単位認定試験が午後にある。気を引き締めて行かなければならない。教科は「アフリカ世界の歴史と文化」である。落とすわけにはいかない。メソメソしてもいられない。1歩でも前に歩を進めることである。
今日は曇りで、富士山を見ることは出来なかった。座席に座ることが出来たので、車中で試験勉強をした。無事に職場に着き、仕事をする。患者のために働くことができることは、心の支えになり、有り難い事である。
アフリカ世界の歴史と文化」の試験を終えて、茗荷谷にある文京学習センターから、午後6時55分頃に帰宅する。帰宅後、着替える前にゴミ出しを行った。手洗いとうがいと洗面をする。体重計に乗る。午後7時よりNHKニュースを見る。半からチャンネルをEテレに換えて、「古代のゾウ マストドン 絶滅の謎」を見る。「アフリカ世界の歴史と文化」は記述式で、3つの問題から1つを選択して答えるものだった。ぼくは、欧米でアフリカを表現した絵画・音楽・映画・文学で具体的に作品を取り上げてその意味するところと問題点を論じなさい、という設問を選んで記述した。1000文字以内という制限がついている。僕は中世キリスト教美術の「東方三博士の礼拝」について記述した。教材の中にあったものである。50分以内で千字にまとめることは難しかった。囚われ人になったために、勉強が足りなかったと正直に言わなければならない。合格点をもらえないかも知れない。その時はその時とあきらめるしか無い。次の学期に再挑戦である。
苦しいことがあっても顔に出さず、感謝の気持ちを大切にして生きてゆきたい。
自分にとって一番身近な、よく想起する詩人はリルケだ。彼の存在が僕にとって一つの基準点となっている。ポール・ヴァレリーの知性を羨ましく思う。リルケの住む館にヴァレリーが訪ねたときの写真が残されている。手紙のやりとりはあったかも知れないが、実際に会ったのはこのときの一度きりだった。離れて暮らしていても、相違点もあってさらに方向性も違う二人の詩人が、すぐに理解し合える関係は希有である。
今日は疲れた。暗夜が続くかも知れないが、明日を信じて床につくとしよう。

ジョアン・ミロ 作:「ミュージックホール」(1938年/昭和13年11月10日)













2014年(平成26年)1月24日(金)

午前5時半頃に目覚める。ガスストーブとお風呂のスイッチを入れ、トイレに立ち再び布団に潜り込む。うとうとしていたが、起きて時計を見ると、午前6時45分頃になっていた。大急ぎで朝食を食べ、入浴する。下着を変え、衣服を着て、ブラインドを挙げて、午前7時45分頃に出勤する。早足で駅へ向かう。IPhoneyoutubeを開き、listening musicをイヤフォンで聴きながら、通勤した。富士山を背にして座席に座ったので、今朝は富士山の勇姿を観ることは出来なかった。無事に職場に着き、仕事を始める。ふさぎ虫はまだ居座っている。心のエネルギーをロスしている。いつ脱出できるかわからない。ぼくはここ数週間というもの過去の記憶の囚われ人になり、後悔の念が波状的に襲ってくる。あの時、どうしてそのような決断をしてしまったのか、という思いが壊れたレコードのように同じところを何度も何度も回転していて、同じ音が繰り返されている。堂々巡りしているのだ。ぼくは僕自身を責め続ける。浅はかだった、思慮に欠けた、冷静さを失っていた、理性よりも感情で結論を出していた等、20数年前のことが初めて僕の中で光を当てられた。自分を何様だと思って行動していたのだろうか。僕は僕がとった行動が間違いであったと初めて認めさせられた。20数年後の今になって、このようなことが心の中で起きるとは予想だにしないことだった。できることなら寝る子を起こさずに突っ走って欲しかった。問題は密かにぼくの心の中に潜んでいたのだ。そのことが明らかになった途端に、僕は居たたまれなくなった。心が悲鳴をあげだした。時間を20数年前に戻したいと思った。もう手遅れなのに。時間は不可逆的に僕をどこかに連れて行こうとしている。時間は人生の誘拐犯のようだ。お祈りしてもどこか虚しさがすきま風のように入ってくる。明日は単位認定試験があるのに、何も手につかない。20数年前のある行動は僕の間違いであったことがわかった。僕は両手を挙げて、認めた。僕はある意味、敗北者になった。今まで積み重ねてきたものが、崩壊するような感覚を覚えた。気分が悪く、何か胃がむかつくような吐き気がしてきて、皮膚感覚が凍結していくような硬直感を覚え、息苦しくなった。どこかに逃げ出したい衝動に駆られた。人の目に見られないように小さくなろうとする自分に気付いた。意識は際限なく音の無いピンボールのように叩かれて刎ねていた。じっと海老のように丸くなってベッドに横になり、嵐が過ぎ去るのをまった。自分に出来ることはマリア様に必死にお祈りすることしかなかった。













2014年(平成26年)1月23日(木)

眠れぬ夜を過ごす。心を落ちつかせるために、音楽を聴く。
昨夜の午後11時50分頃に床についたが、午前2時半頃まで眠れなかった。いつの間にか寝ていて午前6時40分頃に目覚め、10分後に起床する。ブラインドを平行にして光を入れ、外を見ると姜も快晴である。用を足し、洗面をして、体重計に乗る。テレビをつけ国際ニュースを聞きながら、朝食の準備をする。通勤電車の中から、富士山をくっきりと望むことが出来た。乗客のほとんどはせっかくの宝物を見ようともしないで、smartphoneに見入っている。無事に職場につき、仕事を開始する。
午後6時半に仕事を終えて帰宅する。東武ストアでレモンを買い求める。衣服を着替えて手洗い、うがい、洗面を済ませる。午後7時からNHKニュースを観ながら夕食を食べる。ダボス会議のことが伝えられていた。午後7時半からクローズアップ現代「子どもに会えない父親たち〜どう築く 離婚・別居後の関係」を観る。
午後8時からBSプレミアムで、「日露戦争・運命の一日〜東郷平八郎日本海海戦〜」を観る。参謀は秋山真之だった。長期戦になれば戦費が底をつき、日本は敗戦が明らかだった。極秘日露開戦史という資料あり。対馬で待機するか、津軽で待ち受けるか参謀本部では意見が割れた。秋山は津軽で待機する案を主張した。東郷は一日待って何の情報もなければ、津軽で待機することを決断する。そのたったの1日が日露戦争の勝敗を決するものとなった。五島列島で偵察していた船が、情報をもたらした。「敵艦見ゆ!」だった。その情報で津軽行きは消滅した。対馬沖で海戦の火蓋が切られた。

クラウディオ・アバド(1933年/昭和8年ー2014年/平成26年):イタリア、ミラノ生まれ。

マルク・シャガール(1887年/明治20年ー1985年/昭和60年):「ヴァイオリン弾き」(1912年/明治45年・大正元年 制作)















2014年(平成26年)1月22日(水)

午前5時56分に目覚め、即、起床する。ガスストーブのスイッチとお風呂のスイッチを入れる。用を足し、洗面をし、歯を磨き、体重計に乗る。コーヒーを沸かす。午前6時15分から試験勉強を始める。BGMとしてYouTubeのRelaxing chill out musicを流す。
人は悩むことから解放されなければならない。遠い道のりを覚悟しなかればならない。ぼくは精神の痛みにどこまで耐えられるだろうか。苦しくても自分なりの勉強は粘り強くやってきたのだが・・・。最近、気が塞がっているのを感じる。こういう時には、旅に出るのがいいのかもしれない。Goetheにとってのイタリアを思い出す。
勉強をやめ午後7時から朝食の準備をする。テレビをつけ国際ニュースを観ながら、朝食を食べる。シリアの内戦で囚われ人への虐待と餓死者が出ていることが報じられている。アウシュビッツ以来というコトバが使われていた。シリアは大変なことになっていると思った。父よ、シリアの民をどうか救ってください。平和をもたらしてください。
大急ぎで入浴を済ませ、下着と衣服を着替え、午前7時55分頃に出勤する。お天気は晴れ。ひどく寒いとは感じない。無事に職場につき、仕事を開始する。交通事故の後遺症に悩む人の治療を行う。病院なので基本は医師の指示のもとに行うということです。
午後6時40分頃に帰宅する。右のこめかみ辺りに軽い痛みを感じる。帰りの電車の中では読書しなかった。午後7時からNHKニュースを見る。午後9時からBSプレミアムで、The Profiler「痛みの果ての人世万歳 〜 フリーダ・カーロ 愛と苦しみの画家」を観る。愛すべきフリーダ!愛すべきフリーダ!














2014年(平成26年)1月21日(火)

午前3時15分頃に目覚める。小用を足して、ふたたび布団に潜り込んだが眠れず、寝るのを諦め起床する。ストーブのスイッチを入れる。物音をたてないようにしながら、部屋の整理整頓とゴミ出しの袋をまとめ、5時を過ぎてから衣類を洗濯を始めた。お風呂を追い焚きする。6時から入浴する。入浴をすませてから電気カミソリで髭を剃る。朝食を食べ終わると急いで着替える。時間があると高をくくっていたら、いつもの時間になってしまった。午前7時57分頃に出勤する。昨日は事故の影響で大変なめにあった。今朝は通常通りの運行で、無事に職場に着くことが出来た。途中の駅で始発の各停池袋行きの電車に乗り換えた。座席に座って今週の土曜日にある単位認定試験の教材を読む。
仕事を終えて、東武ストアで買い物をして、午後6時45分頃に帰宅する。手洗いと洗面と口をゆすいだ。午後7時6分頃からNHKニュースを見る。イタリアの指揮者、クラウデイオ・アバド氏 死去のニュースが報じられた。80歳であった。わたしが一番のお気に入りの指揮者であった。ご冥福をお祈りした。
午後7時半からクローズアップ現代「仮想通貨 VS 国家  ビットコインの衝撃」を観る。ビットコインというコトバは知っていたが、どういうものかは全くしらなかった。知りたいと思っていたので、関心を持って観ている。ビットコインは投機の対象になっている。また闇取引でビットコインが利用されている実態がわかってきた。仮想通貨というものの定義が成されていないため法律がなく、法律がないと言うことは、保護も規制も罰則もないということである。ビットコインの価値は乱高下が頻繁なためにリスクが高くなっている。ビットコインが急激に広まったのはキプロスの経済が破綻しかかって、通貨危機が及んだことだった。ビットコインを利用するにあたっては、自己責任であることを肝に銘じてやることだと解説していた。













2014年(平成26年)1月20日(月)

午前6時20分にiPhoneのタイマー音で目覚める。40分にきしょうする。ガスストーブのスイッチを入れる。室内温度は19度と表示された。小用を足し、洗面を済ませる。電気カミソリで髭を剃る。ブラインドをへいこうにして外を見る。外を見ると雲はあるが晴れのようだ。午前7時からBSでワールドWAVEモーニングを見ながら朝食を食べる。今週も頑張っていこうと自分に言い聞かせる。通勤電車が不通になっていることが、テレビ画面に表示されている。人身事故なのだろうか。今、駅に向かってもどうしようもないと思い、開通してから出勤しようと思う。時間が来たら職場に電話するつもりである。ネットで状況を確かめる。ネットで調べると案の定、人身事故だった。それも職場近くの駅と駅との間で起きた人身事故だった。出鼻をくじかれた思いである。午後6時40分頃に帰宅する。午後7時からNHKニュースを見る。トップニュースは沖縄県名護市長選挙の結果であった。
午後8時からBSプレミアムで、ワイルドライフ「アフリカ ボツワナ大平原 激突!ライオン VS.バッファロー」を観る。見応えがある。ライオンよりも水牛の面構えがいい。