microcosmos  4

日々の思索

本村俊弘の霞ヶ丘日記(50)

2014年(平成26年)1月11日(土)

午前8時56分頃に出勤する。駅前から電車に乗るために走ったが、雰囲気が違うのでよく考えたら今日は土曜日だった。運行ダイヤが平日とは違っていた。走る必要がなかった。富士山が見えると思っていたが、人が立ちはだかって観ることはかなわなかった。読書をする。仕事を終えて午後2時から始まる放送大学主催の講演会に、東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅まで出向く。講演者は東大教授のロバート・キャンベル氏であった。声はどちらかと言えば小さく、どちらかと言えば立て板に水で、呼吸するタイミングが無いように感じられる話し方をしていた。話の内容は、中江兆民自由民権運動正岡子規の「病状六尺」、上田秋成の「雨月物語」、曾野綾子の新作短編「2050年」、東京オリンピック開催決定とTwitterにおける反応についてであった。午後4時頃に帰宅の途につく。午後10時からEテレで、SWITCHインタビュー、達人達 「是枝裕和 × 姜尚中」を視聴する。対談のテーマは、是枝監督作品「そして父になる」と姜尚中氏の小説「心」だった。作品を解体し分析して、もう一度組み立てていくように思われた。演出術、脚本、キャスト、カメラワーク、家族論、息子の死、東京大学退官、パトリ(郷土)、父親のこと、ここで生きようと思ったところが故郷となる、故郷主義なきナショナリズム、日本人が明治をどのように語ってきたか、近代日本(明治)に帰り着く家族の根。



















2014年(平成26年)1月10日(金)

僕は新しい朝を迎えた。静かな海から生まれたようなこのひと時に、今日という一日をどのように成形するか、思い巡らす。僕の労苦が報われるか報われないかではなく、目指しているところに前進しているかどうかが僕には大切なことなのです。それは光があるところに伸びようとする植物の葉に似ています。古代における植物研究の多くは、医薬品としての研究であり、古代ギリシャにおいては自然哲学の中に組み込まれていた。その代表格がアリストテレスで、医薬品としての植物研究の代表格はヒポクラテスであった。紀元前4世紀〜紀元後4世紀に書き継がれた書物が「Herbal(薬草)」である。


















2014年(平成26年)1月9日(木)

僕は夜の星辰を見ている間、過去の記憶から解き放たれ、輝く星座に吸い寄せられる剥き出しの己が意識に、ハッとする。画家が毎日のデッサンを怠らないように、僕は言葉で日常を素描する。人間は楽器である。それは言葉を発するから。楽器であれば、調律を怠らないようにするのが常です。自分で出来なければ人の助けを借りてでも、調律が必要となってくるでしょう。調律師は呪術者であり、占星術師であり、医者であり、心理カウンセラー・アロマセラピストなどです。人間は本来、美しい音色を出す楽器なのです。

ジョセフ・マロード・ウイリアムターナー(1775ー1851)作:題名「雨、蒸気、速力 グレイト ウエスタン鉄道」90.8×121.9 ロンドン、ナショナルギャラリー所蔵、1844年制作。

中世・フランスの詩人:ピエール・サラの肖像。






















2014年(平成26年)1月8日(水)

何によっても癒やされない心の傷を、引きずって歩く自分の姿を鏡でみる。今年から2年間、取り組み始めた課題を粘り強く頑張り抜くことを、自分に言い聞かせる。自分の中に巣くっている悲しみが、時に生きるエネルギーになっている瞬間があることに気づかされる。希望とは違うエネルギー。小雨の中を仕事を終えて、東武ストアで買い物をして午後6時40分頃に帰宅する。パルシステムから注文していた食料品が届く。着替えと手洗いと口を濯いで、午後7時からNHKニュースを見る。午後7時半から、クローズアップ現代「16歳の不屈の少女、マララ」を観る。国谷裕子キャスターがマララさんが住むイギリスのバ−ミンガム市まで出向いて、インタービューしていた。母国パキスタンでなぜイスラム過激派のタリバンに銃撃されたかが語られる。頭部に銃弾を浴び、重傷を負い生死を彷徨う。イギリスの慈善団体の助けがあって、イギリスで数度の手術を受ける。彼女は奇跡的に助かり、普通に話が出来るまでになった。パキスタンには帰らず、バーミンガム市で生活することを選び、地元の学校へ通い学業を続けている。彼女の女性の権利を勝ち取るための英雄的行為に対して、世界中から賞賛の声が上がっている。彼女はニューヨークの国連へ招かれ、演説を行った。「ひとりのこども、ひとりのきょうし、いっさつのほん、いっぽんのぺんでも世界をかえられる」と。




















2014年(平成26年)1月7日(火)

午前0時半に、歯を磨いて床につく。






















2014年(平成26年)1月6日(月)

午前6時45分頃に目覚まし時計の音で目覚める。数分後に起床する。朝風呂の準備をする。急いで出勤の支度をする。午後6時45分頃に仕事を終えて帰宅する。寒さが身に応える。今朝から、首から肩胛骨内縁にかけて違和感を覚える。頭部を後屈させようとすると、痛みがはしる。一種の寝違いのようだ。午後7時からNHKニュースを見る。午後7時半からクローズアップ現代「未来をひらくイノベーション(Innovation)」を観る。4万円で買える筋電義手の開発。2枚目の名刺が革新を生む。本業とは別に、違う会社の人々と協力して自分たちのアイデアを出し合って新しい製品を開発していく。午後8時から、探検バクモン「ニッポン多国籍時代:新宿区大久保 魅惑のワールドツアー」を観る。非常に興味深い内容である。ヘイトスピーチと絡めてみるといかにヘイトスピーチが無意味なことかがわかる。大久保はコリアタウンと言われているが、実は多国籍な街となっている。文化的摩擦、宗教のちがい、生活習慣のちがい、ゴミ分別等もろもろの違いが摩擦を起こす原因となるが、それらの違いをプラスに転じられるかは日本人の度量に掛かっているようにも思う。




















2014年(平成26年)1月5日(日)

午前1時半、床につく。午後8時から大河ドラマ 第1回「軍師官兵衛:生き残りの掟〜戦国乱世を駆けた天才軍師その青春の日々」を観る。午後11時からEテレで、歴史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 第5回「福島・浜通り原発と生きる」を観る。双葉町の元町長、岩本忠夫氏の変節に驚かされる。町長になる前は原発反対運動の旗頭だった。原発反対を支持されて双葉町長に選ばれた。ところが町長になった後は原発推進者となり、東京電力原発2基の増設を陳情する始末だった。そのようなことにいたるまでには、紆余曲折があったことと思う。原発反対だった岩本町長は町長選で落選してしまう。岩本忠夫氏はその当時アメリカのスリーマイル島で起きた原発事故があったにも関わらず落選したことに大きなショックを受ける。町民のほとんどがオセロゲームで負かされるように、原発推進者になっていった。ここで言えることは政府の手練手管に落ちた町民達の責任も明らかである。テレビでは東京電力を悪く言う人はいなかった。何か発言にきれがなく、困惑気味に話していた。貧困という弱さにつけ込まれる。何とも悲しい話である。明治維新における会津藩の悲劇が今も続いているような錯覚を覚える。原発誘致に動いた当時の首長の決断と方向性は、明らかに福島県の未来を暗くするものだった。双葉町の様な事例は原発などがある他の自治体にも、あてはまるのではないだろうか。交付金などのお金を見せつけられると、原発反対運動は腰砕けになってしまう。最近の沖縄の基地問題に対する動きも、同じように思われて仕方が無い。誰かが犠牲者となる国の政策。それをお金で解決しようとする常套手段。番組を見終わって、ふつふつと言いしれぬ感情が浮かび上がってきた。わたしにとってこれは政治の話ではない、命を守る話なのだ。「原発と生きる」という題がつけられているが、本当は「故郷を奪った原発」とつけたほうがよかったのでは。























2014年(平成26年)1月4日(土)

愛は愛、死は死と別々に語られるうちは、時間の流れは変わらない。しかし、愛と死が表裏のものとして結ばれるとき、時空を越える強い光を生み出す。愛と死の物語は宗教と文学の核心である。宗教はそこからさらに高みへ昇ろうとし、文学は出発したところへ戻ろうとする。午後10時からEテレの番組「SWITCHインタビュー 達人達スペシャル:岡田 准一 × 五嶋 龍」を視聴する。教えられることがたくさんあった。対談を聞いていて、清々しい気持ちになった。






















2014年(平成26年)1月3日(金)

メダカは毎朝、性行動をするらしい。午後9時からBS朝日で、「イタリア美食紀行」を観る。料理界のダ・ヴィンチといわれるメッシスブーゴの業績を追ったないようでアル。ダ・ヴィンチの大作「最後の晩餐」で描かれた料理は肉料理だと思われていたが、修復してわかったことは魚料理であった。ダ・ヴィンチはなぜ魚料理にしたのか、番組はその理由を探る。因みにダ・ヴィンチと同世代の料理界の王様と呼ばれているエステ家の宮廷料理人クリストフォロ・デ・メッシスブーゴは、前菜に始まりデザートで終わるという今で言うコース料理を考案した人である。他にも数々の今までにはない新しい料理作り出した。例えばラザニアの原型を作ったのも彼であった。ラザニアを考えついた理由は、パスタ生地で包んだ中身を温かいうちに食べてもらうためだった。メッシスブーゴはその当時のヨーロッパ中の宮廷にレモンやオレンジの柑橘系の皮や汁で味付けした魚料理を広めた。デザートのチョコレートケーキも彼が作ったものである。ミラノ風リゾット、バルサミコ酢も彼が生み出したものである。メッシスブーゴは晩餐会での料理にとどまらず、音楽や演し物やゲームもプロデユースしていた。午後11時からEテレで、グローバルな人「ニューヨーク×ファッション×起業家 大丸隆平」を観る。興味深いテーマがたくさんあると思った。日本人のアイデンティティー、言語論、日本人の物作り、ニューヨーク論、etc.

ピエール・スーラージュ(1919年/大正8年ー )作:フランスの画家。


















2014年(平成26年)1月2日(木)

新年の大気が澄み渡るように、犬は犬として、薔薇は薔薇として、ヤコブの杖はヤコブの杖として、明確になる時を待たなければならない。午後2時頃からBS日本映画専門チャンネルで、岡本喜八監督作品「侍」を鑑賞する。出演は三船敏郎小林桂樹松本幸四郎、他。女のことで浪人となった侍の生き様を描いている。





















2014年(平成26年)1月1日(水)

午前2時15分頃、床につく。午前7時15分頃に起床。洗面を済ませ着替えをして、散歩に出る。寒いが身が引き締まり、鮮やかな生まれたての朝日を浴びて気持ちがいい。心は穏やかである。午前8時40分頃に帰宅する。散歩している間、キリコの作品にあるような影が、お供をしてくれた。帰宅後に入浴する。体重計に乗る。朝食は島原の具雑煮を食べた。お餅を追加してトースターで焼いて雑煮の中に入れて食べたので、満腹になった。食後、眠気がしてきた。リビングに置いてある観葉植物に、水をやる。それなりに身ごしらえして新年のミサに参加するため、自転車で教会へ向かう。ミサ後、教会のとなりにある新聞販売所でY紙を、西友に寄って衣料品をそれぞれ買い求める。郵便受けから年賀状を取って、午後12時50分頃に帰宅する。リビングに光が差し込んで、温かい。暖房は必要がない。インターネットラジオクラシック音楽を聴きながら、書斎でくつろぐ。

ワシリー・カンディンスキー(1866年ー1944年/昭和19年)作