microcosmos  4

日々の思索

本村俊弘の霞ヶ丘日記(33)

2013年2月6日(水)

ジョアン・ミロ(1893/明治26年ー1983/昭和58年) バルセロナ生まれの画家。名前はカタルーニャ語読み。

アメデオ・モディリアーニ(1884/明治17年ー1920/大正9年) 題名:「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」、エコール・ド・パリ派の画家。

ガボール・ザボ:ハンガリー生まれのギタリストで、哀愁を帯びたサウンドサンタナに影響を与えた。









2013年2月5日(火)

手洗い、うがい、洗面、着替えを済ませ、NHKニュースを見る。気になるニュースは東シナ海で1月30日に中国海軍のフリゲート艦が海上自衛隊護衛艦に射撃管制用のレーダーを照射していたというニュースだ。かねてから心配になっていたことなのだが、中国が何かの国内問題で大きな暴動に発展したときにその矛先をかわすために、中国軍が尖閣諸島で日本と軍事衝突を起こすことである。中国の国内問題の動向にも目を離してはいけないと思っている。歌謡コンサートで、こまどり姉妹が歌っている。何十年ぶりに見るだろう。歌った曲目は「ソーラン渡り鳥」である。いつまでも元気で歌っていてほしいと思う。

イングランド王、リチャード3世(1452年ー1485年)のものと断定された遺骨。2012年9月にイギリス中部のレスター市の駐車場で発見された男性の遺骨を、レスター大学考古学研究チームが発表した。









2013年2月3日(日)

午後9時から、NHKスペシャルの「沢木耕太郎推理ドキュメント運命の一枚 戦場写真最大の謎に挑む」を見る。沢木耕太郎氏が推理した1枚は死の瞬間をとらえたロバート・キャパの作品と言われる「崩れ落ちる兵士」である。この1枚はキャパの恋人で報道写真家ゲルダ・タローが撮影したのではないのかという疑いが出てきた。








2013年1月29日(火)

午前6時半に起床。洗面を済ませ、BSプレミアムでクラシック倶楽部「 ドレスデン十字架合唱団 演奏会」を視聴する。指揮はローデリヒ・クライレ、オルガン演奏はホルガー・ゲーリング、曲目はイタリア聖歌の「高き至福の三位一体よ」、待降節の聖歌でコダーイ編曲の「来たれ救い主よ」、レーガー作曲の「聖母マリアの夢」、ブルックナー作曲の「アヴェ・マリア」、グリーグ作曲の「海の星よ」、グノー作曲の「アヴェ・マリア」、もろびと声あげ、ヘンデル作曲「ハレルヤコーラス」、日本語で山田耕筰作曲「からたちの花」ほか。朝からすばらしい音楽の贈り物であった。眠い体が清らかな歌声に洗われる思いがして、目覚めた。

スマトラ瑪瑙:インドネシアスマトラ島では瑪瑙化した泡サンゴの化石が産出され、アクセサリーとして利用されている。東ティーモール付近でもカラフルな瑪瑙が採れる。

天と地を結ぶ王、アフリカよ!








2013年1月27日(日)

ウイニフレッド・ニコルソン(1893/明治26年ー1981/昭和56年)題名:「シクラメンサクラソウ」(1923年/大正12年制作)。板に油彩。サイズ:500×550mm。題名:「ラッパ水仙とヒヤシンス」(1923年/大正12年制作)。板に油彩。サイズ:500×550mm。オックスフォード生まれの英国の画家。山中湖から望む富士山。職業写真家、江南信國(1859年ー1929年/昭和4年)撮影。日々の暮らしの中にも歴史はある、ではなく、日々の暮らしにこそ歴史はある。









2013年1月26日(土)

午前6時45分頃に起床する。週末ともなれば疲れが出ているのを実感する。今日も仕事である。洗面を済ませ朝食をとりながら、ニュースを見る。外をブラインド越しに見ると快晴である。「食べ方にその人の人生が表れる」のだったら、わたしは差し詰め牛とニワトリを合わせたようなものかもしれない。食事にはゆっくりと時間をかけるタイプである。






2013年1月25日(木)

午前5時半頃に目覚める。静かだ。午後7時10分頃に帰宅する。着替えと手洗いと洗面を済ませ、テレビをつけてニュースを見る。アルジェリアで犠牲となられた方々が政府専用機で帰国されたことを伝えていた。

アンリ・ルソー(1844ー1910/明治43年)作 題名:「ジェニエ爺さんの二輪馬車」(1908年/明治41年制作・画布に油彩・97×129cm・オランジュリー美術館所蔵)






2013年1月24日(水)

仕事を終えて、午後6時35分頃に帰宅する。外が寒かっただけに、ほっとしている。午後7時からNHKニュースを見る。

「真実の心と心が結ばれるにあたり

障害を介入させないようにしよう

事情が変われば自分も変わり

相手次第で心を移す

そんな愛は愛とはいえない

愛とは不動の目印のようなもの

嵐にあっても 決して揺るがない

愛とは船を導く星のようなもの

高さは測られようと

その力は無際限 愛は時の道化ではない

愛する人の唇や頬が 時の大鎌によって刈り取られようとも

愛は束の間の時の中で変わることなく

最後の審判の日まで貫くものだ

もしこれが間違いで

私も間違っているなら こんなことは書かないし

愛することもしないだろう」

(ウイリアムシェークスピア:壺齋散人訳)