microcosmos  4

日々の思索

本村俊弘の霞ヶ丘日記(22)

2012年9月20日(木)
午前6時半頃に起床する。朝風呂する。BSでワールドWaveモーニングを朝食をとりながら見る。イギリスのマンチェスターで婦人警官二人が射殺さ れた。28歳の男が警察署に自首してきたが、警察当局は共犯者がいると記者会見した。顔文字が登場してきてから、30年がたつそうである。最初に顔文字を 作ったのはアメリカのコンピューター研究者だそうだ。
午後7時3分ごろからNHKニュースを見る。中国の動向に注視した。午後7時半から、クローズアップ現代「戦場の市民をみつめて〜山本美香さんの メッセージ〜」を見る。発言者は美香さんの父親とパートナーの山本さん、ゲストコメンテーターはアジア・プレスインターナショナル代表の野中章弘さん、 キャスターは国谷裕子さん。実家の祭壇に美香さんが好きだった露草が供えられていた。












2012年9月21日(金)
午後8時頃から埼玉西部地方はスコールのような激しい雨が降っている。これだけ降れば水不足は解消のように思うが、利根川水系の山間部にも降ってい てほしい。ときどき雷もなっていた。窓を開ければ外から冷気が入ってくる。肌寒く感じるほどでだ。天気予報によれば、来週に30度を超える日があるがそれ を過ぎれば、涼しくなるという。また凄い音をたてて雨が降ってきた。風も負けじと吹いている。















2012年9月22日(土)
午後11時から、BS1スペシャル「1972年“北京の五日間”こうして中国は日本と握手した」を見る。日中国交が始まって今年で40年になる。 1972年に日中共同声明が発表されたが、それにいたるまでの過程がこの番組で要約されている。日本側は田中角栄首相、大平正芳外相、高島条約局長ほか外 務官僚と通訳、中国側は毛沢東周恩来、姫外交部長、記録員、通訳。周恩来の立派さ際立っている。田中首相があいさつした文言の「ご迷惑をおかけした」と いう言葉が、中国側の猛反発をまねいた。周恩来はあまりにも軽い発言だと抗議した。それから日中双方で厳しい交渉が行われていった。両国の努力と未来志向 への願いが結実して、日中共同声明が発表された。周恩来首相は当時74歳で、前立腺ガンを患っていた。午前0時から後篇を見る。













2012年9月30日(日)
午後6時から、平清盛(38)「平家にあらずんば人にあらず」を見る。平時忠は平家の悪口をいうものや異を唱える者を、手加減なしに力で抑え込む。
午後7時からNHKニュースを見る。台風17号関連がトップニュースである。台風17号は時速50キロのスピードで、愛知県と静岡県の県境付近に上 陸しそうである。台風17号は午後7時頃に愛知県東部に上陸。埼玉地方も暴風になってきた。ベランダの窓をほんの少しあけただけで強い風が入り込んでく る。風の音が尋常ではない。被害は避けられないように思えてきた。こんな夜に外にいる人は大変だと思う。わぁー、台風17号は埼玉県に向かっている。緊張 するなぁー。何事も起きませんように!JR山手線は内回り外回りとも倒木のために、不通になっている。














2012年10月1日(月)
午後9時から、プレミアムシネマ「グラン・トリノ」 を観賞する。封切り時に映画館で観たので、2回目となる。2008年制 作のアメリカ映画で監督・主役はクリント・イーストウッド、他の出演者はビー・バン、アーニー・ハー。日本語訳は戸田奈津子。原案はデイブ・ヨハンソン、 ニック・シェンク。脚本はニック・シェンク。音楽はカイル・イーストウッド、マイケル・スティーブンス。最後の終わり方は現実離れしているように思えるの だが、興味深いところもある映画である。














2012年10月2日(火)
午後6時頃に帰宅の途につく。外は暗くなっていて、気持ちの良い風が吹いている。寄り道もせず、まっすぐに帰宅するつもりである。今日は日頃のコミュニケーションの大切さを思い知らされることがあった。真心は鍵である。
午後9時からMOVIEPLUSでアメリカ映画「イエスマン」(2008年)を観賞する。監督はペイトン・リード 、主役はジム・キャリー、他にはゾーイ・デシャネル。この映画の主題は 「意味のある人生を送る唯一のルールは、全てにYESと言うこと」、そしてそれを忠実に実践すること。すべてを投げうって、そのように実際にやってみるこ とは、日常の中の探検家のように思える。確かに「人生はYES」である。















2012年10月3日(水)
午後7時半から、ローズアップ現代 「混とんの時代に飛びこめ!MITメディアラボ所長 伊藤穰一」を見る。伊藤穰一さんは世界最先端の研究所マサ チューセッツ工科大学(MIT)メディアラボの所長である。伊藤さんの経歴はメディアラボの所長としては非常にユニークである。伊藤さんは大学に入ってみ たものの授業がつまらなく、何をやっていいのかわからない日々をすごしていました。そのような暗中模索しているときに父親の知人であったノーベル化学賞受 賞者の福井謙一さんと話す機会がありました。福井さんは落ち葉が落ちるのを指さしながら伊藤さんに、落ち葉が落ちることや雲の流れなどを数式にすると大変 難しい。一見無造作に複雑な動きをするものでも、仔細に見てみると一定の法則がある。カオス(混沌)について興味深い話を福井さんから聞いた伊藤さんは、 大学は中退するのだが、自分なりのやり方でカオスについて勉強を始める。
午後9時20分からIMAGICA BSで2006年制作のドイツ映画「ドレスデン、運命の日」を観賞する。 監督はローランド・ズゾ・リヒター、出演者はフェリシタス・ヴォール、ジョン・ライト、ベンヤミン・サドラー 他。ドイツ敗戦前に米英の絨毯爆撃を受けて廃墟となったドレスデンが舞台である。















2012年10月4日(木)
今日は午後3時頃まで風もなく日差しが強かった。夕方になって雲が出て、風が吹くようになりました。天候の変化を無視しては、人は生きてゆけない。わたしは日々の天候の変化が面白いと感じます。絶えず変化してとどまることがない、地球が誕生した46億年前から。
午後6時からIMAGICA BSで2010年制作のアメリカ映画「死を処方する男 ジャック・ケヴォーキアンの真実 」を見る。ジャック・ケヴォーキアンの名前は知っていて、自殺幇助を行った医師としても。この映画の主題と意味は色あせていないと思う。監督はバリー・レ ヴィンソン、出演はジャック・ケヴォーキアン医師役にアル・パチーノ、他にスーザン・サランドンダニー・ヒューストン、ブレンダ・ヴァッカロ。原題は 「You Don't Know Jack」。舞台となった場所はケヴォーキアン医師が住むアメリカ、デトロイト。彼は年老いた母が死ぬ間際に苦しんだことに心を痛めていた。何か苦しまな いようにする方法はなかったのかと考え始める。図書館へ通い安楽死についての勉強を始める。彼の結論は自殺幇助が死を待つだけの苦しむ人には有益であると いうものでした。彼は確信をもって、病で苦しむ人々の自殺幇助を実行していく。彼は医療用品店を経営する友人のニールに相談し、フリーマーケットで集めた 部品を使って自殺装置マーシトロンを制作する。映画ではケヴォーキアン医師が自殺幇助したケースが描かれていく。マスコミが全米に彼の行為と名前を広め る。それと同時に警察と検察は彼を殺人罪で逮捕し、裁判所に起訴する。ケヴォーキアン医師は自殺幇助する時に本人の意思を確認し、その時の一部始終を姉の マーゴに撮影させていた。裁判が開かれることになり、そこに野心家の弁護士ジェフリーが無料での弁護活動を申し込んできます。ケヴォーキアン医師は何度か 逮捕され裁判にかけられたが、その都度映像とジェフリー弁護士の力もあって無罪となり釈放される。新たなケースではケヴォーキアン医師が直接に静脈に注射 する。それを知った友人のニールは手伝えないとケヴォーキアン医師に伝える。ジェフリー弁護士はミシガン州知事選に立候補する。ケヴォーキアン医師はジェ フリー弁護士が自分を出しにしていたと考え、関係性を絶つ。ケヴォーキアン医師は自殺幇助ではなく、直接静脈に注射して依頼者の求めに応じて死を与えた。 その時に撮ったヴィデオを知り合いの記者に渡す。記者はそれをCBSテレビが放送するドキュメンタリーテレビ番組「60Minutes」という番組に渡 す。死を与えた時の映像が全米に「60Minutes」を通して放送された。彼は逮捕され起訴される。彼は自分で自分を弁護することになった。弁護士はい たが無能な弁護士で、ケヴォーキアン自身が自分で弁護すると決めていた。検察側は家族の証言を封じるために自殺幇助の訴えを取りやめ、殺人罪だけに絞って 起訴した。裁判ではケヴォーキアンの目論見はことごとくはねのけられ、哀れさだけが漂うものになっていた。陪審員の下した結論は第2級殺人で有罪というも のだった。ケヴォーキアン医師は刑務所に収監され、7年後に刑期を終えて自由をえる。79歳になっていた。彼は最高裁に訴えたが、却下された。ジャック・ ケヴォーキアン医師が行った行為は殺人なのか、それとも何がしかの良い意味がある行為なのか?
午後9時から旅のチカラ「魂で踊る いのちを踊る 夏木マリ ドイツ・ヴッパタール」を見る。俳優の夏木マリさんが尊敬するピナ・バウシュが本拠地 としたドイツの都市ヴッパタールを訪ねる。ピナ・バウシュに縁がある人々の話を聞き、振付師のジャン・サスポータスさんのワークショップに参加する。気に なったことは夏木さんが自分の踊ったことを言葉で説明したり、自分が演技したことがだめなのかと聞いたりしていたことだ。夏木さんはピナ・バウシュの創作 仲間のジャン・サスポータス(フランス人)さん他写真家など数人のピナ・バウシュを知る人々を訪ねる。さらにピナの故郷ゾーリンゲンを訪ねる。ピナの家は 空き地となっていた。ピナの実家は食堂を経営していた。ピナはお客のいろんな話に耳を傾けていたそうだ。わたしは埼玉県立芸術劇場で観たピナ・バウシュが 振付たヴッパタール舞踊団の踊りが今も鮮明に蘇る。ピナ・バウシュは3年前に亡くなった。68歳であった。