microcosmos  4

日々の思索

本村俊弘の旭町日記(No.122)

平成15年9月19日(金)―2003年
   今日は残業がなかったので午後6時半頃に帰宅する。午後9時から午後10時52分までフジテレビの番組『椎名誠のでっかい旅―謎の大河メコンを行く』を観る。内容は中国国境のラオスからカンボジアベトナムメコン川流域3000キロを作家の椎名誠が旅するものだった。ラオスの山岳民族が山を下りて、メコン川の近くに移住している現実を初めて知った。村の長は山から降りてきた理由を、情報が入らず時代から取り残されないためだと述べていた。椎名の質問に今後はメコン川を利用する生活になるだろうと話していた。メコン川流域で川魚の漁で、生活している人たちの姿が印象になった。大きな網を激流に入れて大型の川魚が入るまで、辛抱強く父と息子は交代で待つ。父と息子の姿は家族本来の絆を思い出させるものだった。一日半、網を入れ続けて父から息子に交代して直ぐに大きな魚がやっと捕れた時には、見ているほうも嬉しくなった。映像を見ていてカメラクルーの忍耐強い撮影にも頭が下がる思いがした。
   NHKの番組『人間ドキュメント―夢は“世界王者”女性ボクシングトレーナーの挑戦』を観る。今夜の舞台になったのは札幌のボクシングジムである。札幌市にあるボクシングジムからライトフライ級日本チャンピオンが誕生して、それを実現させたのが父親の後を継いだ31歳の娘である。彼女は6年前に父親が病気で倒れたために、父親がやっていたボクシングジムを引き継いだのだった。彼女はボクシングの経験もなくOLからの転身だった。父親はボクシングの元日本チャンピオンだった。彼女は父親や周りの人にアドバイスを受けたり、数百本のボクシングの試合をビデオで観たりして独自の指導法を確立していった。有望選手を最初は見様見真似で指導していき、選手は自己の努力とジムを継いだ娘の指導の甲斐もあってライトフライ級日本チャンピオンになった。娘の悪戦苦闘する姿とそばで見守る父親の眼差しと有望選手の汗飛び散るエネルギーが、よく表現されていた。