microcosmos  4

日々の思索

本村俊弘の旭町日記(No.121)

平成15年9月18日(木)―2003年
   午前零時から午前1時までヒストリー・チャンネルの番組『P38戦闘機』を観る。P38戦闘機はアメリカのロッキード社製で、形が双胴になっている第二次世界大戦で活躍した戦闘機である。1939年1月に初飛行し、それから次々と改良が進められた。最初のエンジンはアリソン社製で、1150馬力あり双発であった。最終的には1475馬力となり最高速度が時速663キロ、最高飛行高度は1万3390メートルにもなった。全幅15.88メートル、全長11.55メートル、全高2.99メートルだった。武装は20ミリ機関砲一門、12.7ミリ機関銃四門で1820キロまでの爆弾が搭載可能であった。総計9923機生産され、そのうち1000機は偵察機として使用された。P38戦闘機は太平洋戦争で日本軍の戦闘機と空中戦を行った。P38戦闘機を乗りこなしたカール・リンドバーグは他のパイロットより燃費効率が良かった。今までの飛行技術を使ってのP38戦闘機の航続距離は1400キロメートルであった。リンドバーグの飛行技術を使った場合の航続距離は二倍の2800キロメートルにもなった。滞空時間も6時間から12時間に延びた。P38戦闘機の登場で日本軍は前線の後退を余儀なくされた。
   午前中の仕事を終えて、竹橋にある東京国立近代美術館へ『野見山暁治展』(2003年8月12日〜10月5日)を鑑賞するために行った。入場料は1200円。展覧会は三章に分けられていた。第一章は「ボタ山の再発見―自然と人工のせめぎあい」、第二章は「ヨーロッパと日本―かたちへのとまどい」、第三章は「空、海、風―うつろう自然と向き合って」だった。
   第一章の作品は「マドの肖像」(1942年)、「焼跡の福岡県庁」(1946年頃)、「骸骨」(1947年)、「卓上の骸骨」(1947年)、「花と瓶」(1948年)、「静物」(1949年)、「廃坑A」(1951年)、「廃坑B」(1951年)だった。
   第二章の作品「パリ郊外」(1954年)、「ベルギーのボタ山」(1954年)、「ベルギーの炭鉱町」(1954年)、「アニタ」(1955年)、「シャワーの女」(1957年)、「顔」(1960年)他。
   第三章の作品は「ある日」(1982年)、「遠ざかった景色」(1981年)、「近づいてきた景色」(1981年)、「旅の終わりに」(1985年)、「階段で遊ぶ波」(1990年)、「遠賀川」(1992年)、「僕の生まれた川オンガ」(1992年)、「太田川」(1988年)、「説話」(1993年)他であった。野見山暁治の絵を見ると作品の年代にかかわらず、故郷の福岡の匂いを感じる。遡行する鮭のように形とやり方を変えて故郷に向かう
   「野見山尭治展」を観終わってから、同館所蔵品ギャラリー「近代日本の美術」を鑑賞した。教科書にも載っている有名な絵画作品が多数あった。黒田清輝岸田劉生「道路と土手と塀」(切通之写生/1915年制作で重要文化財)・萬鉄五郎高村光太郎の彫刻「手」(1923年制作)・藤田嗣治「五人の裸婦」・坂本繁二郎佐伯祐三「ガス塔と広告」(1927年制作)・長谷川利行「鉄工場の裏」(1931年制作)松本俊介「Y市の橋」(1943年制作)国吉康雄・野田英夫・梅原隆三郎「北京秋天」(1942年制作)・古賀春江「海」(1929年制作)・岡本太郎・駒井哲郎などの作品を鑑賞した。