microcosmos  4

日々の思索

本村俊弘の旭町日記(48)

平成15年5月29日(木)―2003年
    午前中の仕事を終えて池袋東口にある新文芸座へ、2本立ての映画を行く。2本ともアンドレイ・タルコフスキー監督の作品である。池袋地下街にあるコンビニでお茶とおにぎりを買い、長時間の上映に備えた。午後三時から始まった1本目は1979年制作の『ストーカー』(163分・カラー)だった。日本公開は1981年。原作はストルガツキ―兄弟。主な出演者はアレクサンドル・カイダノフスキー、アリーサ・フレインドリフ。2本目は午後6時から上映が始まった『鏡』(110分・カラー)。『鏡』は1975年の制作で、日本公開は1980年。主な出演者はマルガリータ・テレホワ、オレ―グ・ヤンコフスキー。オレ―グ・ヤンコフスキーは同じタルコフスキー監督の作品『ノスタルジア』にも出演している。『ストーカー』を見始めてから30分ほどして、いつものように眠ってしまった。どうしてタルコフスキーの映画を観ると途中で一度は睡魔に襲われるのだろうか。大型スクリーンで観るのは2回目だが、前回も寝ているので初めて観るシーンがあったり、こういう内容だったのかと再認識したりした。映画でこういう経験をしたことはない。
『カミングズ詩集』(藤富保男訳編・思潮社刊・海外詩文庫8)を読了。訳詩は坂本遼訳が一篇、伊藤整訳が三篇、鍵谷幸信訳が四篇、ヤリタミサコ訳が三篇、谷川昇訳が二二篇、藤富保男訳が八五篇と同氏訳の童話二編が収められていた。他に「新芸術論」・「詩集1923〜1954の序文」・「いかがなものか」・「六つの非講和(抄)」、ギャリー・レイン氏の詩人論「わたしが存在する」が訳されていた。

 「生きているってことの最大の利点は
  ハートが感じ 魂が触れるものを
  コトバが証明も論駁もできないことじゃなくて
  愛し合っていること
  (恋人よ)ぼくたちが愛し合っているってことなんだ」
                  (詩「死んでいない代わりに」より)