microcosmos  4

日々の思索

本村俊弘の旭町日記(No.158)

平成15年12月4日(木)―2003年
   快晴。少し風邪気味である。先日、本屋で立ち読みしていて、素晴らしくて力作だなと思った本があった。著者はどんな人だろうと思って後ろのページを見ると予備校講師とあって在野の人であった。大学関係の人ではなかったので珍しいなと思っていたが、友人が送ってくれた長崎新聞(11月21日付)の学芸欄にこの本の著者のことが載っていた。著者は山本義隆さんで本の題名は『磁力と重力の発見』(全三巻・みすず書房)。山本さんはこの本で毎日出版文化賞と在野の優れた研究に贈られる第1回パピルス賞(主催・関科学技術振興記念財団)を受賞されたことをこの記事で知った。また山本さんは元東大全共闘議長として知られているとあった。みすず書房によると大部の『磁力と重力の発見』は予想外の売れ行きで、増刷を重ね8000〜9000部も出ているそうである。山本さんはこの本をこつこつと国会図書館に通いながら、また古書店街を丹念に回って資料となる本を私費で買い集めたそうである。本はこのようなひたむきな研究を7〜8年かけてなされた成果であった。この本の大まかな内容は古代ギリシャに始まり、近代初頭にニュートン万有引力の法則を発見するまでの磁力と重力をめぐる議論の変遷を克明に追跡したものであった。従来のニュートンのリンゴの話より100年前に起こった16世紀の文化革命が17世紀の科学革命を準備したと山本さんは考えている。その文化革命を担ったのは教会や大学で学んだ一部のエリートの人たちではなく、魔術師や商人、船乗り、技術者といった在野にある日智たちであったと山本さんは主張する。なぜ魔術師かというと磁石など遠隔力をもったものは魔法の力があると当時の人たちは考えていたそうだ。
   夕方になって図書館で借りたビデオ『航空機映像アーカイブス(1)』を2回続けて観た。映像は明治44年に開かれた日本初の民間飛行大会から始まった。映像に登場した飛行機は次のようなものだった。パイロット武石浩波が乗ったカーチス複葉機による都市連絡飛行(大正12年)。朝日新聞社のドルニエメルクール旅客機による東西定期航空会(大正12年)。プレゲー19による「初風」と「東風」の2機による訪歐飛行。川崎A―6通信機による北京訪問飛行(昭和9年)。川崎C―5通信機による南京訪問飛行(昭和10年)。三菱鵬型長距離連絡機によるタイ国訪問飛行(昭和11年)。三菱雁型通信連絡機による朝日新聞社神風号の亜欧連絡飛行(昭和12年)。航空研究所試作長距離機による航続距離世界新記録達成(昭和13年)。三菱式双発型輸送機による毎日新聞社ニッポン号の世界一周飛行(昭和13年)。三菱MC―20旅客輸送機の開発から就航までの三菱重工が製作した映像(昭和15年)。他には九六式陸上攻撃機日本海軍機)、100式輸送機、ボーイングB―29(米軍機)、占領軍による日本軍用機焼却(昭和20年)などであった。武石浩波の名前は小説家・稲垣足穂氏の著書で知っていたが、日本で初めて墜落して亡くなったパイロットであった。その墜落した現場を写していた映像があった。