microcosmos  4

日々の思索

霞ヶ丘日記(120)

2016年(平成28年)5月31日(火)

朝の7時頃から朝の散歩に出かける。帰りがけにドトールでコーヒーブレイクする。今朝の散歩の距離は3.92km、6,594歩だった。午後3時を過ぎてから簡易書留を郵送するために、近くの郵便局へ出かける。用事を済ませた後は午後の散歩に出る。僕にとって歩くことは内的体験の再確認をする行為でもある。帰宅後は書斎に籠もる。一人一人に義務が課せられている。多くの人がそれを知らないままに生きている。僕もその一人だろうが、義務を自覚して果たしたいと思う。






2016年(平成28年)5月30日(月)

雨はあがったが、ヒンヤリとして肌寒い。夏場にクーラーがよく効いた部屋にいるようだ。油断すると風邪をひきそう。散歩に出る。時々小雨が降る。散歩の距離は4.77km、歩数は8,875歩だった。自分に巣食っている悲嘆について一つの意見を知る。それは夏目漱石の『道草』の主人公が次のように言っていることばだった。「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起こった事は何時までも続くのさ」。






2016年(平成28年)5月29日(日)

早朝より読書する。傲慢な自惚れた態度こそ、一番の敵だと思う。人生が楽でないことは明らかだ。だからと言って自分の人生から逃げ出すわけにはいかない。書くということの中に僕自身を統合する作用がある。続けることで見えてくるものがあるだろう。しかし結晶化するには程遠い状況だ。De profundis clamavi ad te Dmine,Domine exaudi vocem meam.
読了。新しく西田幾多郎の「デカルト哲学について」を読み始める。嘆いてばかりはいられない。前に進もう。誰かが背中を押してくれているに違いない。NHKスペシャル廃炉への道〜核燃料デブリ 迫られる決断」を観る。BSで「宇宙を奏でた作曲家 〜 冨田勲 84年の軌跡 〜 」を視聴する。






2016年(平成28年)5月28日(土)

人生に良いことはあるんだろうか?何も確信のないままに生き延びている感覚がある、月日は確実に過ぎているのに。時間は確信を持って渦巻きながら動いている。「聖グレゴリオの祈祷書」の日本語訳はあるのだろうか。病を得た時のように何かにすがりたい気持ちだ。夜、BSで「シルクロード 謎の民〜Takla Makan砂漠 楼蘭の末裔?」を観る。4000年前の楼蘭の150体のミイラ。






2016年(平成28年)5月27日(金)

麻谷山 宝徹禅師 「風性常在、無処不周」を知る。解説を何度も読む。5時に目覚める。小鳥のさえずりが聞こえる。読書を開始する。自分の内に生起するものを、殆どと言っていいくらい見逃している。いくらかでも捕捉するために毎日書く、画家であれば毎日デッサンするという手仕事が必要となってくる。霧に包まれたような匿名の曖昧さを打ち払いたい。僕はどういうわけか浅くはない悲しみを持ち歩いている。何処までもついてくる悲嘆に手をやいている。午後は気分転換に図書館で読書する。オバマ大統領の広島訪問のライブ中継を視聴する。平和公園でのオバマ大統領の演説に耳を傾ける。歴史的な一日となるかどうかは、今後の核兵器廃絶の進展にかかっている。






2016年(平成28年)5月26日(木)

BSドキュメンタリー「ストロー管の愛」を観る。午前6時に起きる。午前11時からG7伊勢志摩サミット開始のテレビ中継を視聴する。対人関係においては、注意深く、慎重に、丁寧を旨としたい。





2016年(平成28年)5月25日(水)

新しい日を迎える。読書を続ける。知らないうちに眠りについてしまった。5時半頃に目覚める。読書を再開する。読書をこれからも日常生活のroutineとしてやるためにも、健康が重要だ。酒とタバコは今後とも一切やらない。良質な血液を脳に送り続けることを求められている。楽しみを犠牲にしなければ得られないものもある。今日も数時間で終わろうとしている。充実した一日とは言えないかもしれない。そういう日だった。日米首脳共同記者発表のライブ中継を視聴する。





2016年(平成28年)5月24日(火)

簡潔を良しとする。華々しくなくとも。深夜2時頃に目覚めてしまう。いつの間にか寝ていた。午前5時頃に目覚める。生きるだけでは足りない。よりよく生きることを肝に命じたい。






2016年(平成28年)5月23日(月)

日が捲れても、読書を続ける。いつの間にか眠りについていた。掃除機かけをする。ゴミ出しする。国際ニュースを見ながら朝食を摂る。スペインの放送局が伝えていた数字に少々驚いた。政情不安定な南米のベネズエラにスペイン人が22万人いるというものだった。言葉の壁があるのとないとでは、これ程人の移動に差が出るとは。書物のみでは足りない。歩くこと、旅をすることも大事である。夜BSで「ワイルドライフ〜カナダ 巨大フクロウ 見えない獲物を狩る」を観る。ユニークな顔の周りにある羽毛が集音器の役割をしているそうだ。続けてイギリスのコメディー映画「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」を観る。主演はローワン・アトキンソン。007のパロディー映画だった。何回か笑った。ジム・ホールのjazz guitarをBGMに読書する。






2016年(平成28年)5月22日(日)

朝の5時15分頃に起きる。夜、「ダーウィンが来た!」を観る。引き続き、大河ドラマ真田丸」を観る。今夜の主役は僕にとっては、信幸の病弱な妻おこうだった。離縁させられたおこうが身近である。BSで「浅田真央 ゆれ動いた心の軌跡」を観る。午後9時からドキュメンタリーWAVE「広場は眠らない〜仏・格差をめぐる若者たちの議論」を視聴する。フランスの労働新法に対する若者たちの活動を追ったものだ。広場で思い思いの考えを述べる。その活動は「立ち上がる夜」と名付けられていた。






2016年(平成28年)5月21日(土)

昨日は一歩も外に出ながったが、家の中だけで歩いて5.3km、歩数7,919歩だった。自分でも驚く。何でそうなったのか。朝の5時半頃から家の大掃除をしたからだった。今ようやくシャワーを浴びて、床についたところ。6時20分に目を覚ます。九州各県の子供貧困率は全国的にハイレベルにあるのだが、その理由として経済的に苦しくても生活保護を受給しないということがあげられるそうだ。生活保護を受給することが恥ずかしいということだろうか。






2016年(平成28年)5月20日(金)

言葉を選んで使う必要がある。言葉選びを間違えると直ぐに問題が、発生する。如才なく取って付けたような言葉使いを続けるならば、何かの時に批判の的となるだろう。言葉は良くも悪くもその人自身である。日本語に精通しなければならない。日々の勉強はそのことに費やされる。なぜなら日々の出来事は言葉に集約されてくるから。人においては沈黙も言葉である。試練の時こそ成長出来る。忍耐を力とする方法がある筈だ。忍耐こそ適応力と言い放っても良いだろう。






2016年(平成28年)5月19日(木)

BSドキュメンタリー「カストロVSゲバラ」を観る。カストロに裏切られたゲバラ。その後BSスペシャル「ニッポン・心の旅 ワタシの"奥の細道"」(1997年放送)を観る。英国人女性が奥の細道を辿る。出羽三山の修験者の護摩焚きが興味深かった。5時半頃に起きる。ゴミ出しする。部屋の掃除をする。洗濯物を干す。ようやく朝食となる。三味線の弦が絹(繭)で出来ていたとは知らなかった。繭の質で値段が違う。







2016年(平成28年)5月18日(水)

朝5時15分から放送大学のヨーロッパの歴史⑴第6回「中世の民衆と文字文化」を視聴する。部屋の掃除をする。夜、総合診療医 ドクターG「ジカ熱かもしれない」を観る。







2016年(平成28年)5月17日(火)

眠くないので、読書する。知性は他人の力に依存している要素を持っている。いつの間にか眠っていた。早朝5時半頃に散歩に出る。途中、ドトールコーヒーでhot coffeeとlettuce German dogを食べる。今朝の散歩は、5.46キロ、10,036歩だった。帰宅後、BS歴史館「江戸のスーパー変革者 松尾芭蕉」を観る。内容は2014年放送の、「松尾芭蕉〜17文字で日本を変えた男 」と1989年放送の、「おくのほそ道〜池田満寿夫みちのく紀行」だった。朗読を文芸評論家の粟津則雄さんが担当していた。
おしゃべりするように相手に伝えてはならない。僕は一冊の本として生きる。僕にとって読書とは自分自身を読むことでもある。但し感傷の湯船に長居は禁物である。人が辿る道は誰にもわからない。人は季節が巡るように、災害が巡り来るように変貌する。変貌の中にいる醜さを併せ持つ僕は、植物が宇宙の呼び声に応えて内側から開花するように、喜びを見出だして詩の花を生み出したい。忍耐強く前に進もう。
夜、Eテレで「イザベラ・バード」に関する番組を観る。今日は、松尾芭蕉に始まりイザベラ・バードに終わる、とは思わなかった。旅に出たくなった。





2016年(平成28年)5月16日(月)

午前7時過ぎに目覚める。朝刊を読む。BSでワールドニュースを視聴する。凍った心は言葉を使うことを忘れる。時に感傷に浸ることは癒しになる時がある。心のない仕事に何の値打ちがあるのだろう。人に多くを求めすぎないこと、自分に対しても。怒ったところで、悪口を言ったところで、泣いたところで、問題は解決しない。耐えることを学ばなければと思う。自分に出来ることは耐えることしかないと言ったほうがいいだろう。頭で分かったと思うのではなく、日常生活の中で身体を使って身につけていくものだと思う。夜、プロフェッショナル 仕事の流儀「食べる喜びを、あきらめない〜看護師・小山 珠美」を観る。諦めないことの大切さを教えられる。