microcosmos  4

日々の思索

霞ヶ丘日記(111)

2016年(平成28年)1月14日(木)

午前0時で読書を止め、床につく。午前5時15分頃に目覚める。暫くしてから起床する。用を足す。洗面と歯磨きをする。浴室に干していた衣類を畳んで収納する。洗濯した衣類を新たに干す。FBFの田中さんが研究社の羅和辞典改訂版を紹介していたので、iPhoneにインストールする。有料で\5,400だつた。早速試してみる。解剖学の大元の本はラテン語で書かれているので羅和辞典は必携である。Kindleを使って読書をする。午前6時40分頃から朝食を摂りながら、ワールドニュースを視聴する。朝食後、朝風呂する。午前9時15分頃に散歩する。お天気は快晴。寒さもそれほど厳しくは感じない。考えごとをする時は歩く方がいい。強制された運命を生きた人々のことを思う。午後6時からBS1でドキュメンタリー番組「苦悩するフランスのイスラム社会」を視聴する。イスラム教徒はフランスの全人口の1割にもなる。テロ以降、溝は深まるばかりである。続いて午後7時からNHKニュースを見る。午後9時から書斎で本を読む。午前零時前に床につく。天使祝詞を唱える。






2016年(平成28年)1月13日(水)

午前1時半頃に小用を足す。午前6時40分頃に目覚める。暫くしてから起床する。朝食を摂りながら、ワールドニュースをみる。トルコのイスタンブールでISによるテロが起き、10人の犠牲者が出ている。その内8人がドイツ人である。テロはヨーロッパ人を狙ったものではないかと思った。午前7時22分頃に出勤する。お天気は快晴。寒さが昨日よりも厳しいように感じられた。豊洲行きの電車に乗る。朝霞台駅武蔵野線に乗り換え、武蔵浦和駅で再度埼京線に乗り換えた。マルエツで買い物をしてから職場へ歩いて歩いて行く。






2016年(平成28年)1月12日(火)

午前1時に読書を止め、入浴する。午前1時35分頃に床につく。Kindleを使って眠くなるまで本を読む。午前6時半頃に起床する。午前7時半頃に出勤する。お天気は曇り。路面が濡れている。出勤が何時もより遅くなったので、東上線武蔵野線埼京線を利用して職場へ向かう。どの線も混雑が激しい。体調は睡眠不足感あり。無事に駅に着き、マルエツで買い物をしてから徒歩で職場へ向かう。午後5時40分頃に職場を退出する。帰りは国際興業バスを使う。志木駅で電車を乗り換える。車中では読書する。取引する時は約束を守ることだ、守れなければ取引すべきではない。取引とは交換することだ。






2016年(平成28年)1月11日(月)

午前0時20頃からお風呂に入る。同40分頃に書斎に入り、就寝前の読書をする。炭酸水で割った葡萄ジュースを飲む。気に入った本に出会うと寝るのも惜しい。読了するときは寂しくもある。午前9時半ごろより書斎で読書を開始する。午前11時50分頃に書斎を出て、昼食の準備をする。ニュースを見ながら食べる。大鍋で野菜料理を作る。午後2時15分頃から書斎に入り、午後の読書に取りかかる。午後3時45分から休憩する。ベランダの植物に水遣りをする。午後6時ちょうどに読書を再開する。人は現実から逃げることは出来ない。現実を回避しようしても、自分の膝を越えることができないように、回避することは出来ない。現実を動かすためにはこの世に誕生したことの恩返しだと考えるのも一興である。自分の行為が恩返しとなるようにすること。人を欺くことは出来るだろうが自分を欺くことは出来ない。そのことをことあるごとに想起する必要がある。忘れてはならないことを忘れてしまうことが、人の成長を阻害する。





2016年(平成28年)1月10日(日)

午前1時半頃に就寝する。午前5時頃に目覚める。ガスヒーターをつける。小用を足す。洗面と歯磨きをする。寝床に戻って読書をする。午前7時半からワールドニュースを見ながら、午前8時半から書斎で読書を再開する。お天気は快晴。居間に朝陽が広がっていく。具雑煮を食べる。些細なことでも安易に約束しないこと。意識化していない約束は綿毛のように風任せとなる。省みると如何に自分が安易な約束をしてきたかが分かる。軽薄さの表れである。僕はこの軽薄さから脱却したいのだ。作品は作者を正当化する道具となってはならない。午後1時25分頃に外出する。池袋で丸ノ内線に乗り換えて、茗荷谷で降りる。口頭試問まで一時間程あったので、修士論文に目を通す。口頭試問の試験官は指導教授と慶応大学准教授の二名だった。最初、自分の言葉で修士論文の要旨を話すように言われた。一通り話した後に、いくつか質問を受けた。20分ほどで終わった。結果はどうなるかまだわからない。修士論文は8単位で、認定されれば卒業となる。帰宅の途につく。午後5時15分頃に帰宅する。一区切りついて脱力感と解放感にとらわれる。午後8時から真田丸を観る。面白いと思う。視聴率は良いと思う。





2016年(平成28年)1月9日(土)

午前3時15分頃に目覚める。ガスストーブをつける。小用を足す。寝床に戻って、読書する。午前7時10分頃に出勤する。お天気は快晴。静かな朝、大気は昨日より寒く感じられる。土曜日なので乗客は少なく、楽に座ることが出来た。知識があっても何にも役立たない時がある。いよいよ明日は大学院の口頭試問の日である。明日は落ち着いて対処したい。午後9時半から書斎で読書を開始する。





2016年(平成28年)1月8日(金)

今後日本が歩む道は、戦後取り組んできた、戦争放棄主権在民の樹を大きくして行くことである。この樹を斬り倒してはならない。アメリカの手先となって戦争に加担することが、日本を守る唯一の道と思わないで欲しい。北朝鮮の核実験によって強行な意見が出かねないが、ここはしっかりと平和憲法に基づいた対応が求められる。午前1時半頃に床につく。午前4時50分頃に目覚める。小用を足す。寝床に戻ってKindleを使って読書をする。朝風呂する。午前7時12分頃に出勤する。午後7時12分頃に帰宅する。午後9時40分頃に寝床でKindleを使って読書する。いつの間にか眠っていた。午後11時10分頃に目覚める。用を足す。さいど寝床で読書する。






2016年(平成28年)1月7日(木)

午前3時40分頃に目覚める。用を足す。洗面と歯磨きをする。寝床に戻ってkindleで読書をする。微かに空気清浄機とガスヒーターの音がする。後は静かだ。いつの間にか眠っていた。午前8時頃に目覚める。午前9時頃から書斎で読書を開始する。足元に電気ストーブを置く。珈琲を煎れる。BGMはcafe del MarのCosmic。困ったことになった。左膝に違和感を覚え、徐々に痛み出し、正常に歩けなくなった。足を引きずって歩くようになってしまった。明日、出勤出来るか心配になってきた。横になって休んでいたが、午後4時50分頃から書斎で読書を始める。読書しながら指で左膝の痛点を探る。特に外膝眼が痛い。変形性膝関節症で使うツボである。痛みをとるために刺激を与える。人生に対する漠然とした不安感と空虚感は僕の中に抜きがたく存在している。感覚は閉塞感に耐えられない。感覚を目覚めさせる場所こそ神聖な場所であり、そのために詩人は旅に出る。奥の細道を旅する芭蕉よ、導き手よ。







2016年(平成28年)1月6日(水)

日が新しくなっても、寝床でKindleを使って読書を続ける。これからの僕の読書は自分が必要としている最良の本を、何度でも読み込んで行くことになるだろう。集中力を持って読書することが僕の修練となる。読書することによって日常生活は細心の注意を払うようになるだろう。なぜ修練が必要なのか、それは人に媚びる生き方をしたくないからだ。午前3時前に読書をやめる。午前6時40分頃に目覚める。午前7時に起床する。洗面と歯磨きをする。朝食は具雑煮を食べる。午前7時55分頃に出勤する。お天気は曇り。無事に職場に到着する。午後7時40分頃に帰宅する。アランの言葉を噛みしめる。「思いつきというのは、障害に出会って放棄するような意志の試みである。たしかに思いつきの中には一種の実践めいたものがある。しかしそれは持続されないのである。人間においても、自然においても、すべては意志に対立するものであるから、思いつきということは、障害に出会って中止するならば、成功することは不可能である、ということを意味するのである」(『定義集』)。






2016年(平成28年)1月5日(火)

午前0時50分に目覚める。小用を足す。寝床でKindleを使って読書をする。一つ一つの言葉をしっかりと咀嚼すること、鵜呑みにしないこと。一人一人の言語世界は違う。猫という言葉でも、無類の猫好きの人と猫アレルギーの人では、猫という言葉に天と地の開きがある。かくして無数の言葉に差があったりズレがあったりする。如何に他者を理解することが困難であるかがわかるだろう。午前5時50分頃に起床する。用を足し、洗面と歯磨きをする。朝食をとりながらニュースを見る。サウジアラビア政府がシーア派の指導者を騒乱罪で処刑したことを発端として、シーア派の国のイランでサウジアラビア大使館が焼き討ちされた。結果、サウジアラビア政府は国交を断絶する形でイラン大使などイラン外交団の48時間以内の退去を命じた。さらに貿易も出来なくした。イランとサウジアラビアは戦争も起きかねない状況にある。シーア派スンニー派、宗派間の対立は激しさを増していくように思われる。午前6時50分頃に出勤する。お天気は晴れ。暖冬。無事に職場に到着する。自分が管理する訓練室と管理室の鍵を開ける。電気をつけ、暖房のスイッチを入れる。クリーニングしたユニフォームに着替え、昨日まで着ていたユニフォームはクリーニングの袋に入れる。今日の午後、クリーニング会社の人が取りに来る。パソコン、給湯器の電気を入れる。湯飲み、コップ、急須を洗い、給湯器に浄水を入れる。日本茶を煎れる。始業まで読書する。午後7時10分頃に帰宅する。夕食後仮眠をとる。午後10時半ごろから読書する。






2016年(平成28年)1月4日(月)

午前0時20分頃に床につく。午前3時53分に小用を足す。寝床でKindleを使って読書する。午前6時19分に目覚める。暫くしてから起床する。用を足す。洗面と歯磨きをする。朝食抜きで午前7時頃に出勤する。お天気は晴れ。空気は冷たい。体調は良。マルエツで買い物をしてから職場へ向かう。午後5時半に職場を退出する。数日後に迫った大学院の口頭試問が気になり、緊張感が出始める。






2016年(平成28年)1月3日(日)

日本人としての自覚をもつということは、日本人であることを選びなおすということである。午前4時頃に目覚める。用を足す。寝床でKindleを使って読書をする。いつのまにか眠ってしまったようだ。午前8時10分頃に目覚める。暫くしてから起床する。小用を足し、洗面と歯磨きをする。午前8時40分頃から散歩に出る。お天気は晴れ。無風。正月三が日は天候にも恵まれて穏やかなお正月となった。日本の自然は限りなく優しい。その優しさが孤独感を深める状況にあるとき、何か見放されたように感じる時とノスタルジーに泣かずにはいられない時がある。自分に耐えることを学ばなければならない。孤独だから僕は書く、書こうとする力をもらえる。今年、自分に起きることは全くわからないが、自分がこういう風に生きたいと願うことの実現に努力を惜しまないでやりたいと思う。教会に午前9時40分頃に着く。ミサは午前10時に始まった。ミサは一時間程で終わった。西友で買物をしてから帰宅する。午後2時頃から書斎で読書をする。空腹を覚える。午後5時半ごろに夕食の支度をする。午後8時15分頃から入浴する。






2016年(平成28年)1月2日(土)

午前2時半ごろに目覚める。小用を足す。冷蔵庫を開けてヤクルト1本を飲む。寝床でKindleを使って読書をする。何時に眠りはじめたのかわからないが、午前6時頃に目覚める。午前6時10分頃に起床する。洗面と歯磨きを済ませてから、珈琲を煎れる。読書を再開する。早朝に読書しておかなければ、雑事に邪魔されたり、テレビの番組にはまったりするおそれがあり、一日があっという間に終わってしまう。午前8時50分頃から散歩に出る。お天気は晴れ。空気は冷たい。無風。午前9時45分頃に帰宅する。遅い朝食を摂る。今日の後半は居間の片付けをした。夕方にベランダにある植物に水遣りをした。午後9時半ごろから入浴する。午後10時半から読書をする。なぜ読書をするのか。自分が何もわかっていない人間だと思うからだ。それは「汝自身を知れ」というソクラテスの言葉に行きつく。誰のためでもない、自分自身のためにやっている。付随していることは僕が日本人だということである。言い直せば、日本人の僕が自分自身のためにやっている、ということである。日本人ということの意味は僕にはかりがたいものを与えるものであり、また責任を負わせるものである。大袈裟に言えば、僕は西行とも芭蕉とも繋がっているのだ。さらに突拍子もないことを言えば、空海とも道元とも連なっている僕自身があるということである。それを伝統と言い、アイデンティティーと読んでいいのかも知れない。






2016年(平成28年)1月1日(金)

新年早々、「朝まで生テレビ」を見る。聞いていて、頭がいたくなる。発言がかぶって何を言っているのかわからなくなる。得体が知れない。出演者の相貌、態度、所作が醜く見えてしまう。途中で見るのをやめた。攻撃性をあらわにする人間の顔が怖い。安心して下さい、はいていますとはいかない。自己の攻撃性を知り、自己をコントロール出来るようにしなければならない。攻撃性の行きつく先は暴力であり、戦争である。午前7時半ごろに起床する。お天気は晴れ。穏やかな元旦の朝である。午前10時15分頃から散歩に出る。気持ちがいい。ふじみ野と言われるだけあって、富士山が見事に鎮座している。午前11時半頃に帰宅する。郵便受けに入っていた年賀状を取り出す。居間に燦々と陽がさして、暖房はいらない。年賀状を一枚一枚丁寧に読む。午後2時から書斎で読書する。午後4時50分頃に入浴する。お風呂上がりに体重測定する。増えていない。午後5時20分頃から読書を再開する。午後11時に床につく。